1997年の12月からのものです
このころはまだ五輪が来るという実感がなく
拍子抜けしていたところもあった気がします・・・
97年12月11日 | 2回目研修 エムウェーブ |
97年12月23日 | 全日本スプリント選手権 五輪代表選考会 |
97年12月27日 | 元日第9の入場 練習 長野県文 |
97年12月28日 | 全日本ショートトラック選手権 五輪代表選考会 |
97年12月28日 | 元日第9の練習 メセナ |
98年 1月 1日 | 五千人の第9 長野県文 |
98年 1月17日 | ボランティア全体研修 |
98年 2月 1日 | 小沢征爾 大先生指揮 第9 松本県文 |
97年12月11日 2回目研修 エムウェーブ
すて吉っつあん
懐かしいなぁ
1997、1998年かぁ
97年12月11日 Mウェーブ会議室 語学研修会 第2回目 13:20~15:00 高速を飛ばしたけどやっぱり遅れた。 昨日朝、パンク 今朝慌てて後ろだけスタッドレスにした。 100kmでトラックを追い越したら、ハンドルがぶれて、 恐かった。 ヒヤリ。 あぶねえ。 長野大橋とか行く道路は再舗装されて綺麗になっていた。 ビッグハットへ行く高架も完成していた。 ロールプレイ。 ADチェックでの実践。 2人で、片方がボランティア、もう一人が観客役で、 始めはテキストを見て、次は、伏せての会話練習。 おらは単語の意味が解らなくて、相手の人に教えてもらった。 先生とか呼ばれていたので、英語の教師なのかな? 達者な人だった。 こう言うのは苦手だ。 テキストなど見ない方がずっと気楽に出来る。 おらがテキスト無しだと、元気100倍だったので、 このおばちゃん、驚いていた。2人の外人が講師でやっていた。 次は不審物を見つけた時の対応。 おらよりもずっとレベルの低い人もいる。 ちょっと安心したり。 もっとやりたかったなぁ。 じっつあんが話しかけてきた。もう退職して3年。同じホワイトリング担当。 業務も同じ。もう2月2日から業務に付くそうだ。 3月のショートトラックでも手伝って 観客救護の方を担当したそうだ。千曲の人。 この前の第1回目の語学研修でのテキスト、不明単語を全部調べてあるのを 見せてもらった。 もう毎日英語の勉強だそうだ。 そして生き甲斐。 10人募れば、県から英語教師をつけてくれるので、そっちもやっているそうだ。 びっくりした。 3時に終了。 21日の スプリント選手権の話を聞いて帰った。 五輪大橋を通った。 150円。 ずっと進むと、ホワイトリングの所へ出た。 帰りは峠越え。 それにしても疲れる。 2月 毎日通いはつらいなぁ。 ニュースはW杯出場で、盛り上がっていて、五輪はさっぱりの感じがする。 雑誌には、官僚五輪、西武五輪とか言っているのもある。 西武は大笑いだろう。 いやけの男子滑降スタート地点問題。 まだまだチケットも残っていて1月中旬に 再発売とか。 お寒い限り。 盛り上げるためには是非とも金メダルが欲しい。 しかも早い時点で。 一つ出れば、 雪崩式に わめき立つ。 有力は ジャンプとスケート。 スラップスケートで、 ガンガン記録が塗り替えられていて、日本人選手は 押され気味と見る。 暗雲 霧の中の様相だ。 でもこれからだ。 焦るな。 選手達。 おらも、じっつあんに習って、猛勉強が始まる。 これからだがに
97年12月21日 全日本スプリント選手権 五輪代表選考会
すて吉っつあん
よく会社サボったヨなぁ
お袋も行ったんだっけなぁ
97年12月21日 五輪選考会 全日本スプリント選手権 2日目観戦 家族ぐるみで エムウェーブへ行った。 競技は9時より 女子500m 男子500m、女子1000m、男子1000mを見てきた。 観客は会場4割弱くらいか? 4000人位? 意外に暖かい会場だった。 1月の選手権ではあれほど寒かったのに。 堀井選手はカルガリーで特訓中とのこと。 結果 500m 1000m その他 岡崎 38’99 1”19’50 1000m日本新 三宮 39’46 1”19’79 大会新 島崎 39’56 1”21’02 大会新 今井 ? 1”12’17 大会新 清水 35”88 1”12’23 大会新 野明 ? 1”12’68 大会新 総合 女子 岡崎 三宮 島崎 男子 清水 黒岩 野明 9時前に行ったけど、もう三協精機の人達が前での席を取っていた。 ゴールの方はもうプレス席になっていた。 久々のエムウェーブである。 広々で気持ちがいい。 アナウンスは、おなじみの声だった。 女子500m 島崎 VS 岡崎 は見物だった。 岡崎はスタートが早かった。 18組だった。 男子500m 清水 VS 井上 世界のスケーターの滑走は凄かった。 低い。 背中が平らである。 100mを9’6位で行った。アウトスタートだった。 三協精機らの声援で湧いた。 もうスラップの全盛であった。 1月ではそれ程目立たなかったのに、 大会新が幾つも出た。 観客らの暖かい拍手。 女子1000m。ゴール地点が目の前になった。 ラップ 200m 600m ゴール 岡崎 18’04 47’29 1”19’59 三宮 18’85 48’27 1”19’79 島崎 18’63 48’05 1”21’02 女子の表彰も見れた。 ラップ 200m 600m ゴール 清水 16’81 43’37 1”12’23 黒岩 17’01 43’57 1”12’98 今井選手は全くノーマークだった。今井選手は 野明選手と同走だった。 後半が早かった。これには、びっくりした。昨日の出来もこれ程では無かったようだ。 清水選手は11秒台が期待されたが、のこり100mあたりで、ペースダウンしてしまった。 でも世界の滑走はさっそうとして、すばらしかった。 是非 金メダルを …。 2時過ぎに終わって、メインプレスセンターへ。 道路が大渋滞。これなら、規制が必要。 大会期間中は全面規制が引かれるらしい。 国道へ出るまで何分かかったのだろ?? ホワイトリングの見学、3時を過ぎていたけど見せてもらった。250円。 NHK杯の写真とかも出ていた。 五輪エンブレムが、リンクにお目見えしていた。 五輪準備万端のようだ。 やっぱり、 エムウェーブをみてから、 ここを見ると、 エムウェーブの広さが実感出来る。 帰りの高速は眠かった。 昨日の飲み会の疲れもあった。 またスタッドレスで、なんかハンドルがブレルようだった。 腹が減っていて、おにぎりを 5つも平らげた。 また一つ良い想い出が出来た。 伊丹十三さん 自殺
97年12月27日 元日第9 入場練習 県文
すて吉っつあん
県文なつかしい
よく行ったなぁ
97年12月27日 元日 5000人の第9の 入場練習 県文 10時から11時半 8時半過ぎにでて、高速で、松代へ。 ビッグハット横へ車を置いて、歩いていった。練習はなかったのだ。 入場に何分掛かるかをチェック。反響板はない。後ろの配管が見える。 ステージに登ると、殆ど遠い。こんなんなら、2階席で、歌う方がいいと思った。 立つ位置がテープで仕切られていた。 3回時間を測った。5~6分程度である。 でも様子が解って良かった。 じっつぁんと話していた。このじっつぁんは、バスで、SBC合唱団の人だ。 初めての第9の時、おらは、この人の横で、音程を取って覚えた。 じっつぁんは、よもや、知るまい。来年はメサイアはないらしい。 ここで、ホワイトリングへ向かえば、ちょうど選手権をやっていたのに、きっと、 9時開始だと思いこんでいて失敗した。12時からだったのだ。 ちぇっ!!! 長野南バイパスも通ってみた。中央が、まだ工事されていない。
97年12月28日 全日本ショートトラック選手権 五輪代表選考会
すて吉っつあん
暮れで忙しかったのに
よく行ったなぁ
97年12月28日 ホワイトリングショートトラック代表選考会2日目 9時~12時40分 なんと アクアパル千曲でなくてよいのだった。 観客、1000人弱か? 女子1000m。 男子1000m。 ポイントで、男女3000m。 テッシーは、さすがわだった。きんなの500mでは、フライングで失格。 期待は田中 VS テッシーだったけど、田中は3位だった。 テッシーは日本記録だった。駆け引きがうまいなぁ。 先行の作戦だったようだ。 田中選手はくやしそうだった。 寒かった。もっと暖かい会場だと思っていたのに、 なるほど、下のヒーターが冷たいままだった。 いた いた。 あの3月のボランティアの時にケンカしたコーチである。 名前は勿論知っている。 男子1000m。田村と言う小柄の選手が速そうだった。 準決勝では、寺尾も負けていた。 でもさすがわ、寺尾だ。 スッスッーと上がっていった。2位は田村。 おらは、選手のヒートボックスの近くの席に行ったり、上の方から眺めたり、 ウロチョロ、 チョロチョロしていた。 ポイント制で、3000mは、5人で、いきなりの決勝である。 テッシーは速かった。競り合いが見物だった。田中は後半落ちてしまった。 テッシーの記録は日本新記録。ま、あれだけ競っていてたからな。 (訂正、日本記録は、1000mにて) 良いレースだったと思う。 男子3000m。篠原ら2人が、先行した。 寺尾、西谷、田村は牽制し一周も差がついてしまった。 更に、二周にもならんとしていた。 寺尾は、篠原の点数を気にし、コーチに聞いていた。 もう総合点を計算していたようだ。 だんだんと、残りの周が少なくなる。 そしてフィニッシュ。 初めの二人がゴール。 ここからがドラマだった。 牽制していた3人の競り合い。 先行していた、田村がガッツポーズしてゴール。 でも田村の勘違い。 もう一周あったのだ。 その脇を寺尾が、頂き とばかりに 滑っていった。 気づいた田村、後ろに西谷。 結局、 寺尾、田村、西谷とゴールした。 ケンカした、あのコーチらが、総合得点で寺尾の優勝を確信 していたみたい。 そこが、ルールである。2周抜かれた選手は失格らしい。 結局、寺尾、西谷は失格で、田村が3位となった。 世の中、一寸先はまさに、闇である。 ヒートボックス横でのテッシー 報道陣びっしり 女子1000m予選 ウロチョロ チョロチョロ 手前、3月ケンカ相手 ずっと向こうテッシーと田中選手 最後尾から追え、テッシー テッシー日本記録で驚いている よかったね、テッシー 男子1000m 優勝 寺尾選手
97年12月28日 元日第9の練習 メセナ
すて吉っつあん
大急ぎで須坂へ
あわてて、須坂のメセナホールへ、向かった。 1998年 1月 1日 県文 14:00開演の為 五千人の第9 練習である。 1時10分に着いた。 しかし、2時間もブラブラ状態だった。 どうか、ステージでありませんように、 とお願いしてたら、2階席の番号だった。 でも後ろのほうである。 テナーでなくて、バスのパートになっていた。 ま、どっちでも いいや。 北信の人達に混じって、客席にいた。 東信の人達は、ステージだった。 おらは、チョロマカして オケを聞いていたので、はぐれたのだ。 コンサートマスターは、勿論、西田先生。 古川さんも見えたし、神戸さんもいた。 クラリネットの半田さんも見えた。 指揮は佐藤さん。 ソリストは、応援の先生方、 フーガが、遅かった。こういうテンポは初めてだったので、嬉しかった。 おらが、昨年感動した、あの 2拍の所を言ってくれた。 ここを指摘した指導者は、初めてである。 しかし、おらとは、違って、ここは、 ネン、 の n が 伸びているのだと 解説してくれた。 うぅむぅ。 そして、2ヶ所の ? 一ヶ所を指摘する指導者は多いが、 頂点のベルツ? の ? を 言う人は少ない。 「,」 も きちんと見よ。 なんで、主題の所、ダイネツァウヴェルを 2回言われるのが 考えろ! 弁慶、ナギナタ、 が 弁慶な、 ギナタ にならないように 発音の切れ目を きちんとして欲しいと。 これは、 ber vater を続けろと 似ている。(今回指摘無し) 初めてだった。アルトの未解決の謎の部分が、 Cis でなく、 Cにしてくれ なんか、新鮮なアルトの部分だった。 この指揮者、 お主、 できるな、 だった。 圧巻は、 アルトの 天上の声の所だった。 下界と、 天上を 天上は、 宇宙遊泳の 土井さんを思い出せと言われた。 うぅむぅ。 完全に デキル。 この指揮者!!! そして最後、Freude, と、 Goter の違いは? うぅむぅ。 阿部先生。 これだけ人数が多いと、 ppが ppでない。 もっとずっと、pp にしなさい。 これまた、 さすが、 ステージの歌っている人達を見ながら歌うのは気持ちいい。 おそらく、 長野県、合唱団が、これ程のイベントに向かうのは 最初で、最後だと思う。 右隣りの、北信の、白髪まじりのとっつぁんは、凄い声量だった。 もう一人、後ろから、でかい声が聞こえてきた。 左のとっつあんは、ちっとも声が聞こえてこない。 後ろの、学生らしきあんちゃんは、 負けまいと、地声を張り上げている。 南信、中信、からもバスで駆けつけているようだ。 東京からも、すみだ の人達参加みたい。 親子で参加、夫婦、カップル、中学生、じっつあん、ばっつあん。 色んな人がいる。これが 一番うれしい。 信濃の国を 歌わないのが くやしい。 1998年 1月 1日 オリンピックへの道 が 世界へ 繋がる
98年元日 五千人の第9 県民文化会館
すて吉っつあん
元日の第9
1998年 1月 1日 14:00開演 県民文化会館 五千人の第九コンサート ベートーベン作曲 交響曲第9番 ニ短調 作品125 合唱付 指揮 佐藤攻太郎 コンマス 西田博 ソリスト ソプラノ 佐竹由美 アルト 菅有実子 テノール 福井敬 バス 福島明也 演奏 五千人の第九コンサート特別編成オーケストラ 合唱 五千人の第九コンサート特別編成合唱団 お隣の市民会館にバスが7時40分定刻に出発。川中島バス。2台。 席は結構空いていた。高速に乗って松代パーキングエリアで、オシッコタイム。 県文では予想の通りで、女性のトイレは長蛇の列だった。 丹波島橋経由で、9時前に着いた。 南信、中信からのバスも見える。カノラホールからの合唱団のバスも見えた。 「B-こ-30」のカードをもらった。結局パンフの交換の時しか使わなかった。 一階でオケを聞こうとしたら、呼び止める人が居た。おばちゃんだった。 隣の市の合唱で一緒だった人だ。もう旦那が長野に転勤で、今も合唱を 続けているようだ。一緒に菅原洋一バックコーラスしたっけな。 オケは143人?。合唱は2120人位。観客は1000人位。 おらの隣は人が来なかった。手前に英語教室で一緒だった、tさん。 彼は世界最速のブツを生産している有数な会社だ。 景気は最高潮らしい。 語彙が豊富で、選手村の五輪ボランティア担当。 東信の人達の顔が見える。iさんらは、ステージだそうだ。 おらはこの客席の方が良い。オケが聞けるし、立っていなくて良い。 10時からオケのリハーサル。ステージに乗る人達は見れない。 バイオリンはよくまとまっていた。 管が今一だった。28日の練習でもそうだったが、なんかテンポがズレる。 素人耳にも、はっきりわかる。11時半くらいからセレモニー。 ステージの人達はずっと立ったままなので、大変だ。 合唱指導の阿部先生も来られていた。 千曲川讃歌で、いっしょだった、あのオコリンボウあんちゃんは、スタッフだった。 チョロチョロよく動いていた。歌いたかろうに。 ホルンが今一、オーボエもトチリ。 4楽章もホルンが情けない音を出すと、合唱団から、クスクス笑い。 隣りは、テナー。左右とも。あれ?おれはテナーで歌わないといけないのか? と錯覚した。左右からテナーでやられると、ドギマギしてしまう。 (結局本番は、右のあんちゃんと交替したが。 VOR GOTTの所おらは延ばしすぎてしまった。 おばちゃんたちは、 区切れの所で ゴホンゴホンやり、ヒンシュク。 あの指摘された、2拍はできていなかった。 「?」 も 繰り返して練習。 やっぱり天上の声の女声は、声の出しすぎだ。 ちっとも改善無し。 ま、こんなもんです、ハイ。 指揮者の台が2段になった。ステージの後方の人は心で、指揮をみよ。 阿部先生。この間と同じ指摘。 pp が 出来ていない。 合唱団を見ながら歌おうとしたが、今一指揮のテンポが遅いので そうもしていられなかった。 色々確認できずに、ゲネプロが終わった。 12時半位に終わったろうか? なんかいつもの第9と勝手が違う。 tさんとおにぎりを食べた。勿論殆どの人立ち食いだ。 おらはもう一つ家から持ってきたおにぎり🍙をほうばった。 小学生もいれば、中学生もいる。インタビューを受けているじんやんもいる。 東京のすみだからのお手伝いも。 2000人の気持ちが第9に結集される。 14:00静かに第9は始まった。一階席は3列ほど、空きが見えた。 右に人がいない。 1楽章、2楽章、管の出来が今一。ホルンがミスッテいた。 ぐっすり寝ている人が結構いた。 おらも ウツラウツラしていた。 ステージに合唱団が入場。5分46秒掛かった。 女性は横から、男性は縦から整列していくのだ。 ソリスト 菅 さんの イヤリングが、 色んな色で輝いていた。 3楽章。 やっぱりゆっくりのテンポで、嬉しかった。 ピッチカットの所がオケらしくて、とてもいい。 ソプラノで、咳が止まらないおばちゃんが、いた。 いつ、バイオリンで第9でれるのだろう??? 「フロイデ」 世界に向けた、大合唱が始まった。 オケ。 チェロらの 低音部から入る主題は、ゆっくりだった。 そして ビビッタ音だった。 これ程の緊張の音は初めてだった。 良い発見だった。 4楽章は管の人達は今までで最高の出来だった。 ホルン、フルート、オーボエ。 うまくいって、よかったね。 コントラバスは、11本。 ペットは6本だった。 隣りのじっつあんは、ひどかった。 うなっているだけだ。 しかも 女声の所でも歌っている。 下がった音程。 でも いいのだ。 歌えるところを歌って、でかい声でなきゃ、 次に歌えるようになりゃいい。 キャメラも何台か入っていた。 指揮を見るのは見下げるようになるので、顎を引いてしまう。 adagioの所、ゆっくりとしたテンポなので、 指揮者のcresc.が良くできた。 こんな指揮もあるんだ。 こういう遅い方が好きだ。 やっぱり、本番でも pp は 出来なかった。特にソプラノ。 ま、 仕方ない。 どうしても、みんな、歌いたいのだ。 フーガもたっぷりとした指揮。嬉しかった。 そして最後のpretissimoは 走る電車に 乗り移った。 西田先生が終始、体を大きく動かして、リードしていた。 ホールがgotterfunken で満ちあふれた。 大成功 でかい声のブラボー。 もう二度とない大イベントは、無事に終了した。 最後のカーテンコール。 合唱団が、手を挙げての 大喝采。 ニューイヤー 嬉し 想ひ出 また ひとつ 4時過ぎにバスに乗って、5時には役場に着いた。 一年を暗示するような、 曇天の 泣き出しそうな空だった。 また、この県文で、第9を歌う時、 この日の感慨を想い出すだろう こんな、元日も よかろう。 Iさんは、出だしの フロイデをフライングしてしまったそうだ。 色々ある、第9。それぞれの 五千人の第9が 終了した。 ビッグハットから、この県文に変更になってしまって、 歌えなかった人もいるそうだ。 五千人とは、 多い と言う意味で、付けているそうだ。 数は問題ではない。 一人一人の 思いである。 これを想い出と言う。 ステージ1100人程、2階席に残りの人 この光景は一生の想い出である。 二度とこの様なイベントはあるまい。 客席の配置はステージと 同じパートになるように並んでいる。 ステージの人は皆、勿、暗譜。 なつかしいなぁでもみんな記憶が飛んでいるなぁ
98年1月17日 ボランティア全体研修
すて吉っつあん
またサボって
行ったんだなぁ
98年1月17日 ホワイトリング 13:00~16:50 10:00 フーさん宅到着、 アクレディテーションカード用の写真を撮ってから 高速で、長野へ。 11:00過ぎに、接待先到着。お茶もらう。 マルコポーロで、カルビランチ。炭火で顔が暑し。フーさんのおごり。 フーさんは、ビッグハット、シャトルバス、輸送班。 班の名簿作成中。 写真を撮ったり、ボランティアコメント等、今日の研修で、とりまとめ、 準備五輪前に名簿を配布するようだ。良い記念になるだろう。 ホワイトリング到着12:40 ボランティアの全体研修 最初で最後。 客席に1000人は集まったかな? 消防関係者も全て。 お偉いさん方の ご紹介。 どうせ、大会は成功するだろうとのご挨拶。 これこそ、ごあいさつ 隣の人と、こんちにわ の ご挨拶。 研修資料に沿っての説明。 13:30~14:00過ぎまで。 運営スタッフの方針。重大事態時の対応。 勤務、ADカード関係、チームワーク。 何らかの形で、ボランティアの人に選手らの競技を見てもらう予定でいる。 との話があった。 一瞬期待した。 でも フーさんの話だと、ビッグハットでも 12月には、そう言っていたけど、今日の研修では、取り消しになったそうだ。 そんな、とこだろうな。 閉会式の22日。このリンクで、ボランティアの打ち上げを予定しているとのこと。 選手は、来ないなぁ。 残念だな。 最後に、消防、非難誘導のお話。 そして避難訓練。 放送。 一斉に非常口のランプが点滅した。 避難誘導のボランティアが、実地訓練。 そして、一旦、spcワーキングルームとかの隣りの棟に移動後、再度 客席へ。 何か凄い手際が悪い。 タイムロス。 3月のショートトラックボランティアの時、一緒だった、 上田からのおばちゃんと一緒にいた。 ADチェック班の名簿もらう。勤務表も付いていた。ご丁寧に年齢も。 36名いた。 京都や、東京からも 女性は参加している。 勤務は、24日から開始である。 上田のおばちゃんは、エントランスのADチェック。 そして、消防関係の人達も来て、 英語ワンポイントレッスン。 3時から20分間。 そして、班毎の研修。 ADカードと、ユニホーム貸与の時間があるので、 手短の研修。 わざわざ、愛知から来た人もいた。 紛れて、消防の人達がいた。 金属探知器と、バーコードリーダーの辺のお話。 実施練習なし。 バーコードは、バッテリー切れらしく、反応しなかった。 各自紹介とかもなし。 ユニホームの貸与の引き替え用紙をみんなもらっていたが、 おらのは、なかった。 語学研修の時の、じっつぁんもいた。 この人も用紙がなかった。もう一人も。 なんで????? これでもう、当日の勤務に、ボランティアハウスに集合で大会に入る。 流れ解散。 一応、選手ドレッシングルームのユニホーム引換所へ行った。 廊下は、雨漏りが何カ所もあった。 凄く混んでいた。折角並んだのに、係の女性が、部長に言ってくれと、 門前払いをくらった。 他の人達は、嬉しそうに、 もらっている。 なんか取り残されてしまった感じで、孤独だった。 なんか先が思いやられた。 気を紛らすために、ADカードの確認作業の所へ寄った。 肖像権のサインに、生年月日をその場で記入、これと、手元の表の照合。 そして提示の免許証で、確認してもらった。 ユニホーム。ウロウロ捜して、総務の辺へ行くと、偶然に警備部長がいた。 訳を話したが、把握していないようだった。 フーさんに借りた携帯で、電話した。 そこへもう一人現れた。この人が助けてくれて、用紙を貰える所へ。 助かった。 結局は総務の人に用紙をもらって、適当にサイズを記入した。 Lの方がいいかな?と思ったけど、Mにした。 ウィンドブレーカー、フリース、キャップ、手袋、シューズ。 確認チェックをしてもらい、サインした。 心配だったので、廊下で、試着した。 なから、よさそうだった。 女性が多い、年配の人が目立つ。 高校生らも見受けられる。 男子生徒もいるようだ。 なんか、みんな輝いているようだった。 おらは、やっぱり、入り口でのADチェック。 誤魔化しで、競技は見れない。 一応ゾーンコントロールは、 0 である。 エントランスが、2日。 選手役員の所で、10日。 自分なりにそこで楽しむ方法を考えて、業務に当たりたい。 選手とも顔を合わせられる。 これは、うれしい。 どうやって、自分の五輪を成功させようか? いかに楽しもうか? 不安もいっぱいある。 英語。 不審ブツ。 テロ。 班の研修は中途半端で終わってしまったなぁ。 不安の中で、もう本番である。 ボランティアハウスは小さな小屋。 フーさんへTEL。ビッグハットへ。5時すぎ。 フーさんはシャトルバスのチケットのもぎり。 ギャル達3人がいるようだ。 いいなぁ。 フリースLLは、大きそうだった。 ユニホームをもらったら、何だかもう明日から五輪の様な錯覚を してしまった。 接待屋さんにおごってもらった。今日接待で逮捕された、某会社役員が いたけど、やっぱり、おごってもらうのは、具合がいいもんだ。9時前。 もう選手村とか、警備が厳しくなっているそうだ。 その一帯も交通規制で、商売にならないらしい。 日の出で、パチンコ。一回確変。続かず。帰宅、11時くらい。 1月18日。 お見合い。 仲人さんは、 この日3組 時間をずらせて、お見合いさせていた。 忙しい人だ。 合否明らか。
98年2月1日 小沢征爾 大先生指揮 第9 松本県文
すて吉っつあん
大先生の指揮指導
1998年2月1日 松本県文 16:15~18:40 俺のオリンピックの半分は終了してしまった一日だ。 小沢征爾先生指導の第9練習。 人の表現を引き出すにあまりある 指揮棒だった。 こうして世界の音楽家は育てられるのであろう。 独特の横に振る指揮が印象的である。 生き物のような振りかた、そしてそれに答えるオーケストラ。 跳ねるようにしたり、左で大きく振るしぐさ。 すごかった。 兎に角すごい。 iさんと 中学の3年6組の同級生を乗せて県文へ。 2:50位に着いた。 東信の人達は2階席だった。どうしてこんなに待たされるのだろう?? と思っていたら、オーケストラが練習していたのだ。 ベルリン、シカゴ、ボストン、他からの勿論プロの演奏者達だそうだ。 サイトウキネンオケのバイオリンの女性も見える。 県内各地で演奏をするらしい。 一眼レフでバシバシと写真を撮った。 (注意されたのに無視) 直ぐに小沢先生が来て指揮に併せて手を叩く練習。 眼をみなさい。 一通り練習した。 ALLEの所は横に大きく振っていた。 「兄弟よ」の所を強調する振り方だった。 そして FOR GOOTは 凄く延ばした。 今までで一番延ばした指揮であった。 細かい指導はなかった。フーガは佐藤先生と同じくらいゆっくりとした テンポで嬉しかった。 フーガでもフロイデの辺はきちんと合図をくれる。 オケが入ってきた。ソリストは、ポーランド、中国、USA、イスラエルからの面々。 オケが指揮棒の基、一体となっていた。演奏者が指揮に引き込まれている。 2階席で良かった。オケの全体の様子が見れた。 それにしても主題の始めの チェロ、コントラバスの音量の小ささ、これには 恐れ入った。 これぞ、第9である。 終わった。 これだけでもう俺のオリンピックの半分は終わっていた。 これ程の解釈の指揮者は凄い。さすが世界と言われる人だ バリトンの声の柔らかさ、そしてゆったりとして、しかも長い。 びっくりした。 体型がすらりとしていた。どこからこんなバスの声も出るのだろう? ソプラノもスラリとした人だった。澄んでいる。張りがある。 テナーにしても俺が俺がの頑張ってしまう声でない。他のソリストの声量を 考えた声である。馬鹿でかい声でないのが、嬉しく、感動もん。 充分に「詠っている」ソリスト達だ。 最後も立ったままだったし最後は合唱団と一緒に歌っているのが嬉しかった。 小沢先生はオケを見たり、こちらの合唱を見たりの指揮だった。 「兄弟」 の所は大きく振っている。 これが一番の今回のオリンピックで第9をやる テーマであるのだろう。 男声合唱の所は踊るような指揮。 かつて、長野ふれあい第9で、阿部先生が 足踏みをして歌いなさいと指導していたのを思い出す。 小沢先生自身が足踏みをしていた。 俺が楽しみにしていた 天上の声の所は特に指摘は無かった。(やっぱりソプラノが大きい) また、あの 2拍の休符も 特に発見はなかった。 そんなのは問題ではなかった。 演奏者を引き出す指揮にオドロイタ。 まあ、驚いた。 とにかく すごい。 表現の指揮であろうか? フーガのゆったりさ、やっぱり予想通りだった。 嬉しかった。 バス、テナー、アルトと続くフーガの後は ものすごい遅かった。 凄い解釈だ。 これ程たっぷり歌ったのも初めて。 最後の大合唱はメチャクチャな速さでなかった。 それからがまた嬉しかった。 おつきあいくださいで始まった。 オケ、第2楽章の始めを少し練習した。パート毎にやっていた。 かなりゆったりとしているので、プロでもさすがに少しづつズレがあって 修正していたようだ。 ボクの指揮が悪いかな? と小沢先生。4回くらいは やり直していた。 そして 第3楽章。途中何度かやり直ししていた。 バイオリンが今一つ あっていなかった。 テンポがゆっくりなのであわないのだろう。 小沢先生は、英語やドイツ語で色々指摘していた。 たっぷりと弾くテンポ。うれしい 第3楽章であった。 眼をつむって聞いたり、楽しんだ。 これが世界の演奏だ。!!!! 勿論これ程ゆったりの第3楽章は初めて。 やっぱり俺のオリンピックは半分は終わってしまった。 それほどに値する小沢征爾指揮であった。 オケも終わり再度合唱の練習。今度は小沢先生はあまり俺達合唱の 方に向いて指揮しなかった。 五大陸第9を意識しての練習に入った。 五輪会場では他の人が指揮するのだ。我々はこの人を見ながらの 合唱となるのだ。小沢先生に合わせた指揮をしないといけないのだから この人の指揮の方が難しい。 と小沢先生。 テンポがゆっくりな所はやや合唱団でもズレが生じていた。 おらは、この指揮を見てて、マーチのバスの所を 歌ってしまって失敗した。 途中から、さっきのソリストも再度参加してくれた。 大喝采。 五大陸を結んでの第9。 それぞれ200人位で歌うのだそうだ。 勿論五輪会場はわれわれ2000人あまりである。 小沢先生は言われた。 皆さんの役割は2つある。 一つは、オケに合わせてきちんと歌うこと、 もう一つは会場 5万人の人にも、テレビを見ている人にも歌って貰うように 何からのアピールをする事。 五大陸なので、夜の3時に歌っている所もあれば、朝5時に歌っている所もある。 同じ時間に同じ歌を歌うのだから意義がある。 主題の所、歌えない人は ラララ、でもアアアでも日本語でも英語でも何でもいいのだ。 兎に角、主題はみんなが歌って貰うよう、呼びかけになって欲しい。 奥志賀の山仲間20人も歌うそうだ。日本語で。 五輪招致の時、小沢さん自ら歌の事をアピールされたそうである。 五大陸第9 始めは難儀をかもしたそうだ。 NHKの技術を誇る為でもない。 同じ歌をうたうのに意義がある。 大喝采の内に 指導は終わった。 カルチャーショックのような 指揮だった。 2月7日、県文でこのオケの第9があるらしい。 小沢さんが国内で第9をやるのは、10年来だそうだ。 おどろきの 2月1日。 iさんもよろこんでいた。 次は2月6日、総合リハーサル。今度は小沢さんをスクリーンで 見ながらの合唱となる。 山へ行くような寒さ対策をして、おべんとうを持って、歌をうたって、 他のリハーサルも見る。 俺のオリンピック 残り半分が始まる。
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