若きすて吉っつあんのNAGANO五輪ボランティアの感傷です
自分の記録として、また懐かしき思い出として読み返しました
仕事もせずによくやっていたなぁと自分ながら感心します
この五輪ボランティアのあと左遷され東京の地へ行くことに
なったのですが・・・
96年12月22日 | アイスホッケー長野カップ観戦 |
97年1月9日 | ミズスマシ発言への中傷、ざれごと |
97年1月10日 | スピードスケート日本選手権観戦 |
97年1月15日 | フィギュアスケート日本選手権観戦記(ちっとべ) |
97年2月14日 | スピードスケート世界選手権観戦記 |
97年3月27日~30日 | ショートトラック世界選手権ボランティア体験記 |
97年6月15日 | 国際交流フェスティバル参加 |
97年6月28日 | 五輪文化芸術プログラム、 パラリンピック文化プログラム |
97年7月26日 | ボランティア体験講座 基礎コース受講 |
97年9月5日 | 五輪ボランティア、配置通知書が届いた |
97年9月14日 | ボランティア体験講座 (国際交流) |
97年9月25日 | 警備業務専門研修受講 |
97年11月11日 | ホワイトリング、 語学研修会、1時半~4時 |
- 96年12月22日 アイスホッケー長野カップ観戦
- 97年1月7日、9日 ミズスマシ発言への中傷、ざれごと
- 97年1月10日 スピードスケート日本選手権観戦
- 97年1月15日 フィギュアスケート日本選手権観戦記(ちっとべ)
- 97年2月14日 スピードスケート世界選手権観戦記
- 97年3月28日~30日 ショートトラック世界選手権ボランティア体験記
- 97年6月15日 国際交流フェスティバル参加
- 97年6月28日 五輪文化芸術プログラム、 パラリンピック文化プログラム
- 97年7月26日 ボランティア体験講座 基礎コース受講
- 97年9月5日 五輪ボランティア、配置通知書が届いた
- 97年9月14日 ボランティア体験講座 (国際交流)
- 97年9月25日 警備業務専門研修受講
- 97年11月11日 ホワイトリング、 語学研修会
96年12月22日 アイスホッケー長野カップ観戦
すて吉っつあん
五輪の2年前かぁ
五輪テストイベント、ビッグハットの アイスホッケー長野カップを22日、3位決定戦を見にゆきました。 22日の朝刊に、客席ガラガラの状態と報じて有り、 おちょくってやろうと、出かけました。 日本vs日本リーグスター、1ピリオドで私が会場に着いた時には既に0-3で、 リーグスターが優勢。券は2400円。3階席でした。 会場の客席が、こんなに少ないとは…。まあ、以前ここで、研修がありましたが、 実際のリンクができると、だいぶ印象が違いました。 8割位の観客、日曜日だし、人も出かけたのでしょう。 新聞報道では、3110人。(そんなにいたかなぁ? 2000人ちょっとでは? 招待席は超ガラガラ)試合は延長サドンデスで、リーグスターが勝利。6-5 私は何年か前に2回ほど、アイスホッケーを見た経験があります。 その時よりもスピードが不足していた印象がありました。 ゲームは反則ばかり、7人がボックス入りというときも。 それにしても、スティックはリンク内に置いたまま選手はベンチに引っ込むは、 ヘルメット外れた選手もそのまま、ベンチへ、 選手らの 闘争心での気持ちも解るが、カッコッワリーのが随分ありました。まさに審判泣かせ。 得点入った後で、ボコボコやっていたり、パックと関係ない所で、 また ボコボコ ボコボコ打てそうなシュートチャンスに、 チンチン ダラダラ 内容的にスピード感があったのは、第3ピリオドの辺くらい。 まあ、ここで五輪が開催されるんだ、という 雰囲気だけは、ありました。 そして、再来年の元旦のこの会場でのイベントを思って、妄想にふけっていました。 (あっ。これまだオフレコ……。 聞かなかった事にしておいてください。……) 時計を買うお金もない私は、視力もないので、時計を捜すのが一苦労。 現在の時刻の表示が見にくかったです。SEIKOの赤のデジタルでした。 アナログのでかいのをドンと据えて欲しいものです。 試合途中、次の決勝戦の選手らしき、外人選手が6人くらいで、 リンク外のスペースで、サッカーをしていました。 ウォームの為でしょうか?危うく、サッカーボールが、 リンク内に2回も入りそうになりました。 何か、異質でした。 ボランティアの人もいて、一度、注意らしきしぐさをしていました。 こういう時、ボランティアはどう対処したらいいんでしょう? 年配のボランティアの方々が、駐車場整理とか、改札をしていました。 外は寒そうで、私も、きっと、交通整理か、運転手なので先が思いやられました。 本当にボランティアやるんかなぁ ???? 五輪参加と、自分の為にやってみようとは思ったものの、やんねぇ方が、楽だな。 でも折角英語のもやってるしなぁ 愚痴を言い、 ここでうっぷん 晴らしても …… 何になるやら ボランティア 柳人:予定人 困難や お先真っ暗 こんなんで 柳人:ボランティア予定人 寒かろに じっつぁん頑張る 駐車場 柳人:寒風 ラフプレー 試合内容 「何も無い様」 柳人:観客 入場料 税金回収 大丈夫? 柳人:客席数 ボランティア 聞こえはちょっぴり 良いけれど 寒いわ 疲れる 立ち放し 柳人:駐車場 覚めた眼の 席はガラガラ ぴーひょろ鳥 無関心では 不感心 柳人:長野県人殿 ボコボコや ダラダラや サッカーや 柳人:客 おちょくり屋 チョロチョロチョロチョロ 不審人 柳人:俺かぁ テロ対策 お宅は既に お済みかね? 柳人:テロ集団 「待ってろよ」 ( ←コラ!不謹慎だぞ でもこれって、すごく大切で、たいへんですよね?) テロありて、 そして我が身を かえりみて 柳人: NAOC殿へ 私は長野五輪のボランティアの登録をしています。この11月でしたか、 仮配置の打診が来ました フィギュアスケート 会場です。 仕事の内容はまだ不明です。 以前、IOCゲストの送り迎え運転手の打診が来ましたが、お断りしてしまいました。 この会場への運転手かも知れません。 運転手 逃れたつもりが Uターン (川)柳人:会場(運転手) 養成講座 英語の教室へ行っています。 勉強中です。ヒヤリングが一番大変だとつくづく思います。 家とかでは少ししかやらないので、自分の為に 英語のを造りました。 ちっとべ づつやっていきたいです。 97年元旦記 写真をデジカメで撮りました。 画質ご容赦
97年1月7日、9日 ミズスマシ発言への中傷、ざれごと
すて吉っつあん
ミズスマシ
なつかしい
97年1月7日記 新聞報道によると、県知事はスピードスケートは つまらなくて、ミズスマシが飛んでいる様だとの事を述べたそうです。 ここで柳人さんが待ってましたとばかしに読みました。 吉村午良(ごろう)知事へ <ギャグ> <柳人> ミズスマシ ゲンゴロウ声 耳澄まし 柳人:知事発言 ゲンゴロウ! 恥事ではスマン! 引責だ! 柳人:ミズスマシ (現午良) (知事) (済) 人の振り 見ても直らぬ お役人 柳人:失言 失言も 忘れた頃に やってくる 柳人:スケート 口滑り リンクを見てたら ついつられ 柳人:すべった! 調子乗り その一言で 地獄行き 柳人:恥事(知事) 知事の恥事 公人発言 良いカモに 柳人:マスコミ よく言った! わたしはそれを 待っていた 柳人: 五輪反対者 これからの 知事の言動 見定めよ 柳人: 県民殿 マスコミが 喜ぶネタが また一つ 柳人:スポーツ紙 助かった。 私のネタも 繋がった 柳人:筆者 あの人の モグモグしゃべりは 御免こうむる 柳人:某県民 人には失敗は付き物、しかしその失敗の後をどうするかが、器量を 問われます。 (最近読んだ本より) 知事さん、さあ どうする? _____________ 97年1月9日記 知事さん、1月10日にエムウェーブに出向いて 心情をゆったらどうでしょう? すれば、選手にも ちったあ 伝わるかも知れません。 ま、そんな事するようだったら最初から ゆわないか? 今日の連盟との お話の 報道を注目している 私です。 1月8日報道では、「軽率だった、発言撤回」との事、 しかし、9日にスケート連盟?と 会談し 釈明予定との事。 _____________ 97年1月11日記 ミズスマシ発言 決着! 知事さん、日本スケート連盟に謝罪。1月9日。エムウェーブにて。 しかし、競技関係者の宿泊施設をもっとよいレベルのにしろとか 色々問題 あるようです。 __________________ 97年6月記 非難中傷に値するので、この個所は削除を検討しましたが、 全国レベルで2回も失言問題でやり玉に上がった為、記念に 残す事としました。 知事は、よくエムウェーブに来た(観戦)と一定の評価はしています。 しかし公人としては失格、だと今でも思っています。だって2回だもん。 (2回目は ケチ発言) こんな事件もあったんだなぁ。 たまには、ホームページを見返すのもいいもんだ。
97年1月10日 スピードスケート日本選手権観戦
すて吉っつあん
速かったよ
ミズスマシは
1月10日 仕事チョロマカシで スピードスケート日本選手権を観戦しました。 スピードスケートの現地観戦は私は初めてです。 9時半から19時前まで。 女子500m、男子500m、女子3000m、男子5000mの順でした。 観客、250人くらい、(数えました。夕方は100人位) (ちなみに、11日は、3000人を越えていたとか。) リンクは、 広くて 明るくて、 こころがかなり喜びました。 一人の声がとてもよく響きます。氷温-6度、室温10度、湿度36%との案内。 それにしても、観客席が、少ない印象がありました。(ビッグハットでも そう感じましたが) 本番で満席になったら、大歓声がこだまする事でしょう。 想像するだけで うれしくなりました。 知事が観戦していました。 女子500mだけだと思ったら男子の500m も見ていました。 マスコミ人がわんさかいました。 今回の事を布石に 自覚と、リーダーシップを期待します。 競技内容 500mはスタート地点で、緊張感を味わいました。 記録的には低調でした。やっぱ、ミズスマシか、つまらんなぁと思っていました。 しかし、女子3000mからはおもしろいものとなりました。(途中 居眠りばかり) 日本選手権は、スプリントと違って、4種目を滑って、500mに換算し それを合計し、最少得点を争うとの事でした。 上原三枝選手が1000m近くからガンガンラップを上げました。 後半も頑張って、国内最高との事。ちなみに、3人ほど国内最高だった ようです。上原選手は、感触を楽しむように、レース後もずっと練習コースを 滑っていました。新聞報道によると、このコースは12月に滑っていないので 彼女にとっては初めてとの事。 丸子の第9の練習、行くとゆっておいたのを、すっぽかしました。 その甲斐があって最終組、白幡選手が、ものすごい滑りを見せてくれました。 ラップ32秒台を連発、国内最高!。 来た甲斐がありました。 直線100m。選手は10蹴り位でゆきます。白幡選手は8蹴り半位でした。 余裕があって、楽しんでいるようでした。肩の力が抜けていました。 エムウェーブ、 歓声いっぱい うらやまし 柳人:駐車場係 明るくて 広くて高い 大ホール 柳人:ここで第9歌ったら たのしかろ こんな所で 仕事せば 柳人:サラリーマン 8時間 もう何日も 居るような 柳人:夢? 掲示板 私にとっては ただの青 柳人:みえね かみしめる なんども回る 三枝選手 柳人:うれしかろ 八歩半 その時君は 風になり 柳人:白幡選手へ スケートの 刃の音(ね)を残し 選手たち 柳人:静か 人だかり あの話し方 ゲンゴロウ? 柳人:ミズスマシ 一区切り もう皆さんは 気をつけて 柳人:各大臣へ 観戦感想 客席は寒いです。観戦時には、座布団とか、ホッカイロを持って 行った方がいいです。女性は膝掛け等。水筒にホットティーとかどうでしょう。 そして連続してラップが取れるストップウォッチ、記録用紙。 ちょっと時間はないですが、各選手のタイムを比較すると、面白くなるかも 知れません。 中間に製氷があります。 (速報掲示板に、それまでの最高選手のと、比較する グラフみたいのを やってくれると、良いと感じました。ラップとかのアナウンスはあります。でも 感覚的にどのくらい速いのか遅いのか解らないです。) 15日、16日のチケットは完売とか、また凄い応援となるでしょう。 お客さんたち、いい想い出をつくってください。選手と一緒に!!! お知らせ ホワイトリングにて開催 入場料 フィギュアスケートの予定をお知らせします。 時間変更 8:30が9:00になったようです。 9:00~ 男子フリー 12:25~ ダンス 13:35~ 女子フリー 終了は17:00頃 なお、当日はかなりの混雑が予想されます。 アクアパル千曲(どこだかわしゃ知らんぞ)にて、 シャトルバスの利用をお願いします。(誘導ありとの事) 次のフィギュアのホワイトリングでの競技は 97年12月までありません。 私もゆく予定ですが、消防団があるので、男子をみたら帰ってくる予定です。残念! いやな、高速道をつかわないといかん。 事故あらば お先真っ暗 高速道 柳人:トンネル
97年1月15日 フィギュアスケート日本選手権観戦記(ちっとべ)
すて吉っつあん
時間なかったなぁ
ホワイトリングにゆきました。 8時半に着きましたが、どんどん観客が来てました。 得意のチョロマカシで、 何とか公民館の駐車場に置きました。 他の4人の席を取らないといけないので、チョロチョロしました。 前列は取れませんでした。 観戦初めてです。 予定変更らしく、9時からダンスがありました。スピード感がありませんでした。 ダンスは6組くらいしかありません。 10時過ぎには、超満員に。 もう、立ち見のチケッツになっていたようです。 11時前やっと、野郎サン達が来ました。こういう時、携帯電話は便利です。 入場制限とか、騒いでいたそうです。駐車場は河川敷に行かされたとか、 男子フリー、 ラベルが今一で、ジャンプが終わってさあこれから と言うとき、 こけたりしていた選手が、幾人かおりました。 所用があるため、12時前に有力選手の登場前に、 おしみつつ、会場を後にし、いやな、高速道を飛ばしました。 ホワイトリングから自宅までは、50分でした。さすがわ高速! 私にはバックのミュージックの音量がでかすぎると、感じました。 観客席は、多かったです。他の、ビッグハットやエムウェーブを見てますから、 このホワイトリングは、かなりの資金回収が見込めます。 ジャンプには、フィリップ、ルッツ、サルコウ、ループ、アクセルとかあります。 私には区別がつきませんでした。踏み切る足やエッジで色々ゆうようです。 (アクセルはわかりますが、、、、)それにしても、スケートのエッジの音が ギイギイよく聞こえるのにはびっくらこきました。 まあ、チョロチョロチョロチョロ、色々、見聞するのは勉強になります。 私はこの場所がボランティア仮配置です。こんなに人がいっぱい来るんで、 もう駐車場か、運転手か、で間違えはないでしょう。 チョロマカシですと、警備員でチョロチョロ、演技観戦と言う手はありますが、 まあ無理でしょう。 チョロマカし 公民館へ 車置き 柳人:お先に失礼 超満員 迷子もいっぱい 混乱や 柳人:捜すのは困難や 人多し 演技のミスも また多し 柳人:おしい 甘かった! こんなに中身が 多いとは 柳人:お客&アンマン 居たいけど 見れずに痛い 良い演技 柳人:もう時間だ 満員や これだけ入いりゃ ま、良いんや 柳人:関係者 高速道 対面通行 拘束道 柳人:長い 仮配置 ここの寒さも 身にしみる 柳人: 駐車場係に覚悟
97年2月14日 スピードスケート世界選手権観戦記
すて吉っつあん
Mウェーブはいいなぁ
2月14日 スピードスケート世界選手権行ってきました。 8時前にゆきました。16時まで 大好物のエムウェーブです。オランダから来ているという、クラインチャ ピールスと言う、楽団?が製氷の途中に盛り上げてくれました。 外国からの応援も結構いました。ノルウェーや、オランダ、ポーランドなど。 最後には外国の応援団が、肩をとりあって、回って踊っていました。 ビールを片手に、応援も騒ぎも 楽しそうでした。 選手は、世界24カ国からです。66人。オープニングで、豆スケータが、 各国の国旗も持って、一周しました。警察隊の演奏や、どこかの ダンスもありました。世界選手権てなもんは、初めてなので、 ちょっと国際人になった気分でした。 小学生、中学生の観戦があって、ものすごい応援でした。(90%の入りでは?) 選手はうれしかったのではないでしょうか? 見ている私が嬉しくなる 位ですから、 日本選手、青柳選手、野明選手の時また、白幡選手の 時は、大応援でした。子供たちにはいい想い出となったでしょう。 500m、白幡選手は、強豪リツマ選手と同走、勝ちました。 韓国の選手が一位、一秒の間に、何人も入る 流石は、「世界」です。 500は、始めの20m位が勝負です。速い人は、ここが違います。 女子の500、ニーマン選手がよかったと思います。上原選手、野崎選手 宗像選手、頑張っていました。 私は、スプリントの堀井選手を見かけたので、子供たちに混じって、 サインをねだっていました。 間近に見る、「世界の人」は、そんなに大柄ではありませんでした。 ワクワクしました。いい想ひ出になりました。 5000m後半には、もう小学生らはほとんどいませんでした。 期待の男子5000m。方眼紙にラップを取っていきました。 あまし、選手の滑りを見れませんでした。ディトリッヒ選手(ドイツ)が 6分43秒台、ラップ、31秒台も出し、驚きました。 野明選手は6分51秒台、リツマ選手は、伸びずに48秒台でした。 そして白幡選手は、途中、ストーレリ選手(ノルウェー)にリードされました。 ラップも32秒台後半で、ガンガン応援しました。後半に31秒台がきました。 そして逆転。興奮のルツボでした。 次のフェルトカンプ選手(ベルギー)がまた、後半に31秒台のラップで、 一位でした。結局、白幡選手は、2種目とも、3位で、総合2位、 500mは自己新と放送されていました。 フェルトカンプ:6分43秒26 ディトリッヒ:6分43秒74 白幡:6分47秒46
97年3月28日~30日 ショートトラック世界選手権ボランティア体験記
すて吉っつあん
初体験のボランティア
以下は駅でガメた、チラシを記しています。 ボランティアでもらった詳細な資料とは、照合していません。 当日券一般1200円 3月28日~3月30日 世界ショートトラックスピードスケート選手権大会 ホワイトリングにて開催! 私は赤系のウエアーでチョロチョロしているはずです。 多くの皆さんのご来場を待っております。 3月28日 10:30 開場 12:00 オープニングセレモニー 12:30 1500m 予選、準決勝、決勝 15:00 リレー予選 3月29日 10:30 開場 12:00 アトラクション 12:30 500m 予選、準々決勝、準決勝、決勝 15:00 リレー準決勝 3月30日 10:30 開場 12:00 アトラクション 12:30 1000m 予選、準々決勝、準決勝、決勝 3000m決勝 16:00 リレー決勝 表彰式 _______________________________ 97年3月27日~3月30日 世界ショートトラックボランティア体験記 体験記:3月27日記 ホワイトリング、10時から18時まで、 リンク内の警備で、報道陣とかキャマラマンらが、選手に 取材するのを駄目ダメと、規制する役目です。 通訳という事でしたが、ちっとも用はありませんでした。 他の通訳ボランティアの人は選手誘導とかで、走り回っていた様です。 私はボーッとしていました。 (もし何かあったら、聞けるだろうか?話せるだろうかと、オドオド) 今日は公式練習です。明日も午前中は公式練習があるそうです。 選手たちはものすごい速さでカーブしていて、エッジの音がヒュンヒュンして びっくり。昨日転倒あって、運ばれたとか、 私がボーッと見ていたら、チーム練習で、最後の人が転倒、 壁にぶつかりました。すごい音でした。 でも大丈夫で、一安心。 ずっと立っていて足が棒です。(役目もボーですが) 度胸をつけようと、オーストラリアのコーチにちょっと話し掛けました。 13人参加の様です。パンをもらいました。片言でチョロチョロ話でした。 私の低レベルの語学に気をつかってくれました。 16時からは明日のオープニングセレモニーのリハーサル。 ボーッとしたので、VIPの入場の代役をやらしてもらいました。 スポットライトを浴びて、夢のような出来事でした。 これだけでもう大収穫です。 ボーッとしていて良かった。 いやいやで来たこのホワイトリング。 語学の不安は100%ですが、 「笑顔」をナントかやってみようと気持ちを切り替えたいです。 高速カーブ セレモニーリハーサル 明日俺もYMCAやるよ。 この位置でボーッと _________________________ 体験記:3月28日記 9時から4時半まで 観客は思ったより多かった。3割くらいか?(ひいきめ?)小学校が2校。 田中千景選手(長野出身)の応援団。 公式練習を見て、選手にも笑顔で受け答えできました。 早お昼。12時にセレモニー。昨日の実感を かみ締めながら…。観客もピーピー鳴らし、賑やかしてくれました。 さあ、試合開始。選手らをリンクサイドから追い出しました。あっちこっち。 片言ながら…選手の席もなんとか、理解してもらえたようです。 コーチのゾーンに入ってくる選手らを止めるのが大変。 途中、胃が痛くなりました。緊張と疲れと(立ち通し)が重なったのでしょう。 観客の興奮、選手もコーチに話をしたい、私も興奮と、色々重なり合っても いたようです。この時だったでしょうか? 日本のユニホームの選手にも「エクスキューズみー」とやってしまいました。 これもいい(胃胃)経験でした。(超恥ずかしい) 4時過ぎまで一回休んだだけ。ちゃんと指示通り、してくれる人も居れば ちっとも聞いてくれない人もいます。チャランポランな私とすれば、 適当がいいのですが、他の人が頑張っているし、そういう訳にはいきません。 自国の選手を応援していた選手らは見過ごしましたが。 警備は一応はよくいったのでは? と自己満足です。 競技は、一周は111mとか。13周くらいでしょうか?日本選手の時は 白熱レースでもあり大興奮。特に女子の準決勝?(よく覚えていない)は 途中 勅使川原選手がバランスを崩して最下位に、そこから最後に大逆転で 決勝に進みました。決勝は5位でしたか?その後4位に上がったようです。 レフェリーが3人いるのです。進路妨害とかチェックしているそうです。 3000mは他の種目の時に、1位から4位に得点が与えられ、それで上位が 出場できるシステムとか。コーチが「1点、1点」と喜んでました。 韓国の選手が3人決勝へでました。すごいです。 男子は寺尾選手が準決勝で最後の直線でやられました。 植松選手が目の前で転倒してしまいました。他の選手ともつれて、 でも凄い競り合いでした。 よくあんな狭い所で抜くなぁ 大柄の選手でも凄く小回りが利きます。リレーは男子はイタリアが速かった ような? 日本は韓国と競っていました。上体を内側に傾ける角度は 相当なもんでしょう。聞けば、エッジも工夫されて角度と曲がりがついている そうです。 トン汁の用意を入り口でやっていました。(食べたかったなぁ) 競技部長、副部長のお話、 明日、若干の人に仕事を移動してもらう予定。 通訳のボランティアがよく動いてくれた。(私の事ではありません 選手のウエアーとかをスムーズに移動してくれていたようです。) もう一度各持ち場を再点検せよ との事。 明日も車、気を付けて、地蔵峠を下ろう。来年の事を想いつつ…。 大好きな第9の3楽章を聞きながら。 英語、ちょっとは自信はつきました。でも不安はまだまだあります。 TBSで日曜日に夜遅く放映あるそうです。 せれもにー 女子決勝:右が勅使河原選手 中央の2人が韓国選手。スタート前です。 __________________________ 体験記:3月29日記 今日は口喧嘩をしてしまいました。 喧嘩の場所はヒートボックスという、選手がシューズアップする所の隣のスペース で、JAPANのサブリーダーなのか? ちょっと年配らしき人と。 ここは、コーチやアップの選手しか入ってはいけません。 始めは外国選手も聞きいれてくれ、二階席の選手用の席に移動してくれました。 そのうちに、準決勝でしたか?外国選手にゆってもちっとも受け入れてくれ なくなりました。 他の通訳ボランティアの人も手伝い始めてくれました。 私が某国の選手にゆっていて、聞いてもらえず、 そこへJAPANの若手選手?とかも来たので、注意してました。 そこへ、この喧嘩相手がきてしまったとゆうわけです。 (外国選手の目線なぞ、気にもせず、でかくやってしまいました。 ちょっとまだ青一歳から抜け出れません。) 今日は厳重にやるぞ。とのミーティングで始まった、今日の警備班。警備人数も 増えました。頑張り過ぎました。やはりチャランポランが一番いいようです。 喧嘩後、外国選手にもう一度、でかい声で説明して、 もう私はそれ以上 いうもんか、もうどうでもいいや と、諦めました。 いっそその場を逃げてしまおうかと思いながらも、我慢してそこにいました。 私のやるせない気持ちを察したのか? 他の人が、 仕方ないよね、 と 慰めてくれました。 (それ以上 ゆわない 事になりました。) どんどん、人が入ってきました。 見かねて、他のボランティアの人が、注意しなくていい のか?と言いましたので、 いいんだ!と怒りながら ゆってしまいました。 もう競技なぞ私にとってはどうでもいい物となっていました。 日本選手、勅使川原選手がどうだったのか、ちっとも覚えていません。 (心そこにあらずんば、見えず でしょうか?) 決勝にいなかったので、きっと準決勝で3位くらいだったのでしょうか? ただ、寺尾選手が決勝で、一旦はいい位置になり、観客が大声援したのは 覚えています。3位だったでしょうか? 一人、転倒して、防御フェンスから外へ出そうにぶつかりました。 レフェリーの指示が無ければ、他の人は選手に触れてはいけいそうです。 でも、誰だかちょっと手を差し出してしまったようです。(喧嘩前の出来事) 明日もこの状態でいくとのミーティング。 (やだなぁ。) 私の事をねぎらってもらいました。 臨機応変にいく事になりました。 気持ちと同じ、曇天の下、車での第9の3楽章で、元気になりました。 歌謡曲 tomorrow より (これを書いていたらTVでやってた) 涙の数だけ 強くなれるよ アスファルトに咲く 花のように ……………。 明日は来るよ いつの時にも 明日は来るよ 君の為に なんか自分の事をゆってるような 曲、 今度CD借りてみよっと ! 今日、ボランティアの人が、折り紙をしていました。 ヤッコ だかを折っていました。 選手にやるんだっていってました。 いいことだなぁ。 明日はバスの帰りの選手に笑顔で 「バイバイ」 しようと思います。 明日はドーピング関係で、忙しい関係者もいるようです。 家で話すと 母曰く、 「 はは、はは……… おいにもそんな元気あっただかい 」 父曰く、 「 …… 隣のおっつぁんの言うように ちゅっかげんが 一番だ!」 詩人: 金子みすず 「 …… みんなちがって、 みんないい」 ちゅっかげん: わたし 「 …… いろいろあって、 みんないい」 ___________________________ 体験記:4月1日記 29日の雨が全てを洗い流してくれ、競技最終日30日は、みごとに晴れました。 第9の3楽章を聞きながら、雲海に包まれる上田平を眼下に、 峠を越えて行きます。 行く途中、火事で、通行不能、あと3日の、消防任期も 思いながら 9時前に、会場へゆきました。 泣いても笑っても、また喧嘩しても この日で、終了です。 ミーティングで昨日の話がでました。リーダーの人が、私の近くで、ホローして くれるようでした。 そして臨機応変にゆくことになりました。 (私の辞書によれば、ちゅっかげん兼、チャランポラン、) 入場者は、4000人近かったようです。(この会場は満員でも5500人位とか、 私は、10000人以上と思い込んでいたので、びっくりしてしまいました。) さて、この日は、もう一人のバイリンガルの外国人の通訳ボランティアの人が 今度は、選手と口論になってしまいました。 しかし、さすがわ、陽気な人です。 競技が始まる前には、すっかり打ち解けていました。 (誰かさんとは大違い) 某国の 「やんちゃ Girl 」 達に しょっちゅう、注意していました。 (英語は苦手のようでした。 私よりも、チョロチョロが得意のようです。) スケート関係者によると、 ちゃんと、素直に、 練習する選手よりも、 わがまま的な 人の方が、行く行くは、大成する選手になる例が多いとか。 プロ野球のイチロー選手、野茂選手にぴたりと、あてはまります。 (いわんや、サラリーマンも同様でしょうか… 納得 納得、) 競技が始まると、ギャーギャーの応援が、頭上の観客席から聞こえました。 「やんちゃ ガール」 達でした。 その後も私がいないと思ったのか。 入り口から勇んで来ましたら、私が隠れて見張っていたのに、見つけられ、 すごすご、引き返してゆきました。 日本人選手の活躍もあって、大声援でした。1000M 寺尾選手はもつれて、 決勝へは進めず。私は、また、サインをねだりました。 (警備もせず) 勅使川原選手とか、女子選手は、「 超かわいい 」 です。 折角なのに、サインをもらうのを忘れてしまいました。 (来年のお楽しみ) 会場は、ウェーブをやったりして大変な熱気。 きんな、打ちひしがれて 見ていたウェーブ、今日は、一緒になってやりました。 たのしい! スピードの選手も観戦に来ていて、紹介されていました。(上原選手、清水選手) 歴代の優勝者も来ていました。 男子3000M、寺尾選手の頑張り、大声で応援してしまって、回りの人から ひんしゅくをかいました。 それにしても大声援でした。 場内は大騒ぎ。 2位に入る大健闘、総合でも3位。 女子リレー、日本は3位を確保、ちょっと2位との差が出てしまって残念。 そして男子リレー。すごいスピード。 これぞ、ショートトラック。 抜きつ抜かれつに、場内は大興奮。お客さんも大満足では? (もうその時点では、私の仕事はどうでもいいようなもんでした。 これが臨機応変でしょう。 選手たちも私の顔を伺っていましたが。) うれしかったのは、リーダーが 競技が終わると、すっ飛んできて、 握手を求めてくれた事です。 嬉しくて声が出ませんでした。 中国のコーチから貰ったというタイピンを私にくれました。 また、バッジももらってしまいました。 きんな喧嘩してよかったな。 ドーピング関係の人は大忙しでした。 私は表彰を見ていました。ライトアップされた、日章旗、 広いドームの空間に浮ぶ 国旗は 幻想的です。 国歌は他の国でしたが、背中がぞくぞくしました。 いいもんです。 自分の所の片づけをして、帰りました。 新聞報道によると、他の競技では、ボランティアもフェアウェルパーティーに でたそうです。 「やんちゃ ガール」 達と話したかったな。 こちらは、役員だけなので、私らはありませんでした。 選手にもバイバイ できませんでした。 (持ち場を離れてはいけない為) 様々な出来事と、出会いと、想いと、宿題を残して、来年の前哨戦は、 終わりました。 直ぐに、出張だったので、 40里弱を 移動しました。 振り返ると、ホワイトリングのドームの上に、悠久の時を駆けるヘールホップ 彗星が、人の営みを笑うかのように、尾をたなびかせていました。 97年3月、 消防団、 賃上げ(私は、職場の委員です。なんにもやらなくても いいんですが……。。) 、発表会、 ボランティア、 出張用お仕事と かなり、いそがあしく、あくせく やってきました。 色々やりましたが、 自分に 何が残ったのか? 自問しています。 あるようでいて、無し なきようでいて 有り 仏教が教える 「 一切は空 」 でしょうか? (しかし、 すすむしかありません 。 が …) 英語をやることと、折り紙を折る事は、確実です! 五輪では、またこの仕事かは解かりません。 しかし、 すべては これからです。 ( やんちゃ は 五輪選手で、これるかな?) 私はせいぜい、健康で、またこの会場に来たいと思います。 過ぎ去れば 全てはチリか? ほうき星 想い出と 共に尾を引く ほうき星 やんちゃ達 今はいづこの 空の下 世界ショートトラックボランティア体験記: おまけ写真 ボスのお話 幻想の国旗掲揚 かわいい テッシー はいはい ___________________ 97年6月記 読み返すと、これでも結構ワテも色々やっているんだなぁ。 でも秘密に隠してあるのも結構あるんで、書けば良かったかな。つうのもあるし、 人に読んでもらうと言うのは気を使うもんだな。それにしても文章下手だな。 ギャグも日付ないとちっともアカンワ。 ま、自分の日誌みたいなもんだからいいか。自分史と考えよう。 ウンウン。 それにしても英語はちっとも上達しないし、ゆうこととやる事がさっぱりだな。 でもデータベースACCESSの英単語のもなから出来たし、これからだな。 …………。 つってもまたちっとも、やらねんだな、これが。 全く、チュッカゲン。ワテの持ち味。ま、いいや。
97年6月15日 国際交流フェスティバル参加
すて吉っつあん
見返すとあの頃は
パワーあったなぁ
勢いかなあ
9時過ぎに中央公民館へゆきました。 jはいなかった。ウロウロしていたら来ました。 さっそく英国のブースの準備。何人もお手伝いの人が来ていました。8人くらい? 暑くなりそう。こんな炎天下に来る人はいるのだろうか?閑古鳥になりそう。 英国のティーだけで100円。スコーンセットだと300円。 作業は机の搬入。椅子の搬入。英国紹介(jさんが作った。)の貼り出し。 他では、バザーの所も。 2Fでは本場中国の人達が作るギョーザ。200円。 この催し物は上田ボランティア国際交流&チャリティーバザールで 主催はIVU(インターナショナル、ボランティア、オブ、ウエダ) 後援ひまわりの会。にほんごクラブさくら でした やっぱり暑くなりました。日本に来て1ヶ月と言う英国のdさんは日に焼けて真っ赤 でした。来年までいるそうです。 私は茶碗を運んだり、他のブースへ行ってチョロチョロ。 英国ブースでの売り上げは18000円くらいになったんだろうか? ユニセフ寄金になるそうです。 お湯を沸かしに2階へゆくと、ギョーザに長蛇の列でびっくり。 12時過ぎに片付け。絶え間なく人が来ていてこれにも驚きました。 定年のじっつぁんがいました。jさんの英語教室の生徒。10人は来ているとか。 (私の教室は7人位。この教室もあと一ヶ月で終わりだなぁ。) NHKの生涯教育英語もやっているそうです。私よりずっと語彙があり。 外国にも何度か行ったそうです。 オリンピックではビッグハットで、またパラリンピックもボランティアやるそうです。 すげえ人がいるもんだ。見習いたい。 来年が待ち遠しいそうです。いいなぁ、人は。 そして、日本語スピーチコンテスト。参加7人。 ブラジル2人、韓国、中国、フィリピン、ニュージーランド、タイ、 韓国の女性は上手かった。それぞれがユーモアを用いながらやっていました。 拍手喝采。聴衆は60人くらいはいたろうか?もっとかな? ブラジルでは家では、靴を脱がないそうです。 ニュージーランドの大学生は卒業すると結構外国に行くらしい。でもスイスとかで ちょっと固まってしまう傾向があるとか。 日本人を伴侶にしている人も2人いたのかな?当初は苦労していたようです。 「行く所も無い、話し相手も、はけ口もない。」が印象的。 聞き終ると英語教室のtさんがいました。毎週2時間日本語を教えているそうです。 へぇへえぇ。偉いなぁ。人は。タイの人が生徒で発表したそうです。 マイクが無いので聞きづらからった。 日本には伝統あり。と言っていた人が何人か。きっと初詣とかお盆の事を言っているの でしょうか?またたまごっちの流行の話題も。人間関係を重要と指摘していた人も。 それぞれにユーモア賞とか頑張ってるで賞とかの記念品。大中小それぞれ。 楽しかった。でもこんなにも外国の人がこの地域にいるなんて思いも寄らなかった。 日本語教室と言うのも話しには聞いていたけど、みんな何がしかがんばってんだな。 その後はパフォーマンス。琴とかインドの踊り、ダンス。私もバイオリンでもやれば よかったかな?こういう発表の機会は利用しないと。 と思っていたら、s、才能教育のバイオリン発表会がホールであったので 聞きに行きました。公民館からは歩いてたったの5秒の場所です。 一人上手かった。クライスラーのプレリュードとアレグロ。 何時かは弾けるようになりたいな。 かなりのラベルと見た。オールドの良い音でした。音程も正確。男子学生、ルックスも上。 タイスの瞑想曲。ちょっと音程ずれ。女子、かわいい。 (96年の7月に隣町のミュージックフェスティバルで弾いたっけな。この曲。 出だしで指が弾き飛んでひどかったっけ。それでバイオリンの製作のを紹介したっけ。 先生にゆったら、そんなラベルで人様の前で弾くなんて観客も苦痛だって叱られたっけ。 そういえば今年は連絡来ないな。) カバティーナ(ラフ)とかの斉奏。沢山VILがあると迫力です。 でも誰か子供がうるさく騒いでいるのかと思ったら、小さい子供たちの音ずれの せいでした。 40人くらいかな? 何人大人になるまで続けてくれるだろうか? 何時か誰が私のVILを買ってくれる人いるかな? こんどフェスティバルに参加の時は是非バイオリンのパフォーマンスをやりたい。 第9の歓喜の部分を弾いてかつ、歌おうか? 次は12月にあるかな? スピーチコンテストは勉強になりました。 jさんからの手紙が無ければ、今回の参加はありませんでした。 one letter 楽し想ひ出 また、一つ じっつぁんに 我も負けじと 英語弁(勉)
97年6月28日 五輪文化芸術プログラム、 パラリンピック文化プログラム
すて吉っつあん
またサボって
行ったんだなぁ
五輪文化芸術プログラム、パラリンピック文化プログラム 6時半から8時まで 中央公民館 500席ほぼ満員。1000円。(格安) ウィーン東京アンサンブル コンサート モーツァルト :クラリネット五重奏曲 ドボルザーク :弦楽四重奏曲「アメリカ」 愛の悲しみ、浜辺の歌、星影のワルツ 中澤きみ子 ルードヴィッヒ、ミュラー ゲオルク、ハーマン クリストファ、パンティロン 村井祐児 中澤さんはもち、ストラドのはず。「アメリカ」では各楽章で拍手。 社長さんが譜面の面倒みていた。夫婦でコンサートにたずさわれるなんていいなぁ。 ルードヴィッヒさんはやわらかい音色だった。「星影」で微笑んでいるみたいだった。 星影のワルツは、ばあやんを想い出した。この曲がすきだったなぁ。 天国でこの演奏きいたかや。 バイオリン、チェロ、ビオラで移動していって味わいがあった。 学生時代の卒論の打ち上げで、みんなで肩を組んで歌ったっけ。 ……………………… 遠くで祈ろう、幸せを、遠くで祈ろう幸せを、今夜も星が降るようだ。 …………………。。 外は台風で雨が降っていた。 みんな今どんな仕事してっかなぁ。もう黄泉の国に行ってしまったのもいるし。 あいつのガキンチョはでっかくなったかいや? いいなぁ。人は。 嫁なしは俺だけか。 とほほ。 地元で演奏の中澤さん、また来年。! 良い演奏聞いて、何か良いことあるな? と確信して帰ると、 小六殺人事件犯人逮捕の報道。 NHKは早い。 40近くじゃないのか?黒い車は?全く目撃情報はあてにならん。 俺よりもチュッカゲンでチャランポランな目撃だなぁ。 それにしても被害者の名前を出すのはもうやめて欲しい。 あまりにかわいそうだ。自粛していそうに見えるのはNHKだけと見た。 アナウンサー達は何とも思わないのだろうか?(報道よりも心情を) それにしても報道初日のアナウンサー達には失望した。まるでニュースの丸読み。 痛ましいもショッキングも何も感じられなかった。 事件よりもアナの報道姿勢の方がショック、我が目を疑った報道人だ。 そして、最近になっても更に毎日のように被害者の名前を読み上げる。 明日からまたグアングアン騒ぐだろ。 犯人の氏名も伏せて欲しい。 マスコミや いずこも同じ わめき立つ 人の思いを おもんはかれや 事件のショックより、報道人の無神経さにショック!!!。 動物を殺していた犯人を捜していたら被疑者にたどり着いたという。 こう言うきっかけを報道して欲しいものだ。 NHKに被害者への思いやりを感じた。せめてもの救いだ。 証券会社とかの悪事ももっと出所を報道して欲しい。 どうして知り得たか?その発端を知りたい。内部告発によるものとの報道があった。 悪事はもっと出てくるだろう。そんなのちっとも興味なし。 例の事務次官の悪事は告発文書が発端だったとか。 マスコミや いずこも同じ 喚き立つ ああ情けなし 情けなし 報道には必ず、年齢がつきまとっている。 いいとしこいて、いつまでも誰にでも まとわりつく。 お年とは いいとしこいて 意図し愛しと 落としネタ
97年7月26日 ボランティア体験講座 基礎コース受講
すて吉っつあん
ボランティア
基礎講座
ボランティア体験講座 基礎コース受講 主催:長野県 松本合同庁舎にて 松本なので、久々に稲核に行くことにしました。 茄子苗は今年は持っていかなかったか らな。3年ぶりだろうか?台風9号が近づいていました。 途中、念願の守護神の虚空蔵菩薩堂にお祈りしました。 約2時間で稲核。上高地へ向かう車も多いようです。 ソバを取って貰いました。以前より細麺になっていました。 ハネ親をやったご夫婦も ソバを嗅ぎつけたのか?来ました。 ここの風穴の取材にテレビ局がもの珍しさで インタビューに来たそうです。 帰り際、おばさんが、井戸端で何か見ています。 気にもせず、頂の缶ビールのお中元を車につけていたら、リスを見ていたのだと。 スルスルと杉の木を登っていってしまいました。井戸の屋根に落っこちて来て、 水を飲めとパシャパシャ誘うと、飲み始めたのに俺が来たので逃げたらしい。 しっぽのでかいリスでした。 合同庁舎、県内各地から100名くらいかな? 挨拶 小林公喜さん 長野県生活環境部生活文化課長 県には1700団体、22万のボランティアグループあり 高齢化、人材不足、資金不足が叫ばれている 講師 斉藤信夫さん ボランティアは“おいしい” 約1時間 地域社会は学びの宝庫 (社)日本青年奉仕協会事業部長 活動事例紹介 花村有利子さん 聴覚障害者をとりまくネットワークづくり 松本手話サークル会長 小岩井 彰さん 無理せず楽しくボランティア にっぽんこどものじゃんぐる 地球クラブ代表 清水 房さん 何でもありの災害ボランティア サポート神戸 in 長野(市)代表 各20分位 その後オリエンテーション 体験コースの内容説明 生活文化課 _______________ 斉藤さんの講義概要 コップの水を飲みながら、 これは水ですか?私はお酒が好きなんで今度は 「おいしい」お酒を、用意して於いてくださいから始まった。 「裸の大様」の物語で大様は裸だ! と言ったのは子供でこれは勇気ではなく、 子供の素直さが現れただけ、また「はなさかじいさん」もイントロで紹介した。 生と死は自分で決められない。 「今という時代は」 毎月神戸へ行っている。水道とガスがコミュニケーションを減らした。 井戸と薪の時代は、どこの誰それはどの部屋で寝ているまでも知っていた。 マイホーム。自己中心、社会関係との遊離、競争社会 「森は海の恋人」 畠山さん著 カキの養殖、海を元気にするため、10万本も植樹した話。 日本は食料を輸入しても食べ残しが多い メガネの人も実は障害者なのだ。 きんさん、ぎんさんのギャラは40万、半分は寄付、残りは老後の蓄え(笑い) 少子化 1.432人 サンマが足りない サンマとは、仲間、時間、空間 の「間」 これをとり戻せ 時間。忙しい人ほど時間管理が巧い。今日ここに来ている人程、忙しい人だ。 寄付。やる気無い人はお金がたまってもしない。 心が貧しくなった。生活の貧困。 この一年で、手編みのセーター貰ったり、 編んだ人は何人いますか? 文化の貧困 かたぼうし音楽祭、奈良にてある。作詞は障害者が、 作曲は健常者が行い、楽しむ。本日前夜祭あり。この講義後移動。 交流の貧困。 異世代、異質(障害者、年寄り)とつきあわず、同世代としか つきあわない時代である。 「ボランティアとは」 奉仕はサービスであり、一方通行、ボランティアは双方向、一体化、対等。 ボランティアは、=社会奉仕、慈善では無い物だ。!!! 火山をボルケイノという。湧き出すものだ。 自主性、無償制、公共性、先駆性、創造性である。自分が何をしたいか? どういう社会にしたいのか?実践から学べ。自由意志。やめたけりゃ直ぐ やめて、結構。 活動を人に伝えていくことも必要。 活動の原点は「私」発である。 だから持続出来る。 「私」発だから、活動内容は自分で、選べるし、作り出すことができる。 ボランティアは絶対の「善」ではない。 自由な活動だが、自立や人権や尊厳を侵すことがある。 大震災の時、ボランティアに来た人たちが宿泊の面倒見ろと言う事例があり。 出発が「私発」 だからこそ、そうぞうりょく(想像力、創造力)が求められる。 ボランティアは、あてにはできない。しかし機動力はある。 行政活動は公平原理、平等である。ボランティアは自由原理、あてにできな い。震災の時、ボランティアはよくやってくれ、行政は何もしないと報道されたり していたが、行政は目に付かない、公平、平等という面でしっかりやっていた。 (報道こそ、あてにできない(ホームページもあてにできない。)(私)) 共生社会、市民社会の風土つくりへ。 人生時計 人生80年とし、一日24時間で考えてみる 0歳~20歳 0時~6時 太陽を浴びて活動する為の準備期間 20歳~40歳 6時~12時 徐々に太陽を浴びつつ社会的な役割を担う 40歳~60歳 12時~18時 社会的な経験を蓄積し、老後への準備、移行 60歳~80歳 18時~24時 経験を生かしつつ、人生を豊かに生きる 今日ここに高校生とかも多いようだが、必ず、老後は来る物です。 遠い先の話ではありませんよ。 長い人生を学びの期間とする。学習は、楽集、楽習、楽衆である。 学習を社会還元するひとつとしてのボランティア。 ボランティア活動を通しての学習活動。 自主性と、自発性が基本 JYVA。 1年間ボランティア活動計画 ボランティアは、もう一つの仕事、もう一人の自分を発見することだ。 互教互学 何でもしてあげればいいというものではない。30分掛けて、水を飲める人が いるなら、手伝ってはいけない。尊厳を傷つける。手助けをすればいいのだ ボランティアは「呼吸」だ ボランティアは「権利」である。「義務」ではない。 してもいいし、しなくてもいい。 物好き、便利屋、偽善者、自己満足 歴史を作る主体者としての目覚め think globally act locally 地球規模で考え、足下での行動 think future act now 未来を考え、今する事をやる 「血」縁社会 「地」縁社会 「社」縁社会 →→ 「知」縁社会へ ボランティアは、 出会い 気づき、 発見である。 他人の役にたつ事で成長する やるかやらないかは、自分で決めよ。自己決定だから、意味がある。 活動のためのステップ 問題発見(自らの発見) → 問題解決の為の学習 → 実践 → 評価、検証 実践だけがボランティアと言われているが、全体がボランティアだ 神戸で、住所移転をプリントゴッコで、やっていたグループがあった。 自分で考えろ!!! 最後にボランティアを始めるにあたっての心構え 自分の身の回りから 遠く離れた所でなくていい 相手のニーズに合わせて(自分勝手でなく) 無理をするな 自分の出来る限界をわきまえて 仕事とか、学校を犠牲にするな 自分のペースをわきまえて 責任(約束)を果たすこと ボランティアは勝ってである。 交通事故、災害事故も自分持ち 子供達に、できたら来週くるとか曖昧な約束するな 子供達はずっと信じて待っている。 活動にけじめをつけよ 自分の活動を点検する、記録を付ける 学び、自己成長せよ 謙虚であれ 一歩下がって見よ ボランティアの現状 高齢化 → 仲良し過ぎる 新人を入れない 人材 → 呼びかけ 資金 → 企画力 家庭や職場の理解をえよ。 広げよ プライバシーは守る 酒は米と、糀と、水があれば、醸造される。酒に「なる」のだ。 私はお酒が大好きだ。 気がつけば、ボランティア がいい。 お酒は 「おいしい」 (と言って、コップの水を飲んだ) ボランティアも 自然に おいしいとなればいい 落ちがついて 講義終了。 時間ピッタリ、 約束(責任)をきっちり守る人だった。 _________________________________ 活動事例概要 花村さん 聴覚障害者は、見た目では障害者かどうか解らない。 行政の足を引っ張らないようにしかし要望を受け入れて貰えるように 活動している。通訳は年1000件も。仕事を休んでもいかないと いけないことがある。 保障も申し入れている。 障害者は医者に病状を話すのさえ難しい。だから、医者にいかない。 郵便局にFAXを入れて貰ったが、障害者がFAXを係員に頼むのさえ どうやって解って貰えるのか? 聞き慣れない声を出すと、それだけで、人の視線が集まり、二度と しゃべりたくなくなる。 手話ができなくとも、参加(出来る)ことがある。 ______________________ 活動事例概要 小岩井さん 小学校の教諭 スライドでの説明。 上田市の荒廃農地を開墾し、小学生に「火、水、土」の原体験をさせて いる。高校生、大学生が手伝ってくれている。大根、ジャガイモ栽培。 収穫は10万。 タイへも、スタディツアーで行った。タイは、貨幣経済が入ってきてから ゴム園とかの為にドンドン荒廃している。(スライド。)熱帯雨林の 泉が真っ青(スライド)。5mもの深さの泉、子供達は楽しそうだった。 ステイ先はガスも水道もないところ。 今の子供達は畦草を刈るのにも、剪定ばさみとか、スコップを 持ってくるレベルだ。もっと農作業体験が必要。おじさん、おばさんも 高校生、大学生も小学生達を手伝って、農作業を楽しんでいる。 更に荒廃農地を開墾していくつもりだ。 国際感覚豊かな、青年になってほしい。 _________________________ 活動事例概要 清水さん 帽子をかぶって、ベストを着込んで、なんちゅうかっこの おばさんだろう? と思っていた。 なんと甲高い声だろう? 女学生みたいな声だ。!!! 私は72歳です。 「ええっつ」 神戸へ行く前に台所でストーブを付けず、3日、毛布一枚で寝起きし、 これならいけると思って神戸に乗り込んだ。 子守をしていたボランティアがいた。赤ちゃんを何枚も着込ませて あやているが、泣きやまない。年寄りの経験で、汗ばんだのを 脱がせてあやすと直ぐに寝入った。若い人にできること、 年輩者にできること、があるのだ。 自分がやろうとしないと、何もない。 仮設住宅では老人の話し相手になってやったりした。 若い人が一生懸命やってくれていた。 神戸には9回、70日もいったそうだ。通帳を2冊も使い込んだ。 70%の力でやりなさいと最初に言われたそうだ。 車椅子ダンスできる人を出前した。 身障者だって、こんなに凄いダンス出来るんだ!神戸の人も 頑張って!を見せたかったので。 出で立ちは、神戸へ乗り込むときの格好だそうだ。 ライト、ラジオ必携。 感想 すげえ人がいるもんだ。この若さ。自分を老人と思っていない。 勉強になった。そして私の体験コースは、国際交流。9月14日。長野市。 それまで、しっかり勉強するか? (パチンコやめようか?) ほどほど人生のすすめ と言う、ひろさちやさんの本に人の役に立たなくていい。 言う箇所が出てくる。私はこれが大変気に入っている。 今まで、ボランティアまがいの事としては、 障害者と、電車にのってリクリエーションを やったこと、そしてバイオリンでのホーム慰問 各1回のみ。 言葉が不自由な少年と、手をつないで歩いたときの思い出。 なんもやらずに、過ごすもよし、何かみつけるもよし、 人の役に立たなくも、自分が何か発見できるかも、しれん。 人の役に立たなくも、自分の役に立つかもしれん。 事故に巻き込まれ、障害者になるやもしれん。 やだくちゃ、やめりゃ、いい。 私発、この言葉、気に入った。 ひとつ やってみるか 帰りは台風の間隙に虹が覗いた。 虹は外側が波長の長い赤、内側が青である。 その虹の上に もうひとつの虹が見えた。 外側が、青、内側が赤である。 虹が出るときは、いつもこの二重の虹は出ているが、 もう一つの方の虹は見えることが少ないらしい。こ の二重の虹を見たのはこれで、3回目だろうか? もうひとつの 自分 、発見 か 虹を見たのでこりゃ良いこと有ると思って、パチンコへ。 リーチがこない。 また4万。この2週間で10万以上やられてしまった。 良いことは、続かないもんだ。 明日はどこのパチンコ屋へいこうかな?
97年9月5日 五輪ボランティア、配置通知書が届いた
すて吉っつあん
配置通知書届く
五輪ボランティア、配置通知書が届いた。 会場: フィギュア/ショートトラック会場 期間: 98年2月9日~21日 時間:7時~17時。 13時~25時 業務: 警備部 ADチェック班 腕章言語: ENGLISH 業務は、3月のショートトラックスピードスケート世界選手権での業務と似たものなのか? 詳細は不明。 ADはアクレディテーションカードだろう。 だからまた、喧嘩したりするかも知れない。 絶対に事故にあわないこと。 絶対に病気をしないこと。 絶対に風邪をひかないこと おごるな くさるな ふりむくな 絶対に英語を頑張ること 絶対に朝を大切にすること 絶対に嫁をめつけること いなおれ たのしめ げんきよく 肉体は借り物である。 一切は 空 あることは無く、 無いということもまた無い
97年9月14日 ボランティア体験講座 (国際交流)
すて吉っつあん
こんなんもあったんだなぁ
ボランティア体験講座 (国際交流) 9:30~15:20 長野市立犀陵中学校、 調理室にて 受講者 24名 タイ料理等の調理実習 10:00~13:00 会食 片づけ 在県外国人との座談会 13:15~15:00 グループ別 日本での生活 フリートーキング グループ別発表 県内の国際交流グループについて 講師 草の根の国際交流を考える会 の皆さん 材料費 1000円 持ち物 包丁、箸、エプロン、上履き 30分遅刻していった。10時に到着した。 もう殆ど料理の下拵えは出来ていた。おらは、タイ料理の所だった。 他には、中国、エクアドル、フィリピン、マレーシアにグループ毎に分かれた。 タイ料理では、ハルサメの ヤムウンセン、 砂肝揚げ スープのトムヤンクンをやった。 おらはやることもなく、ボッーとしていた。 味見でヤムウンセンを食べたが、辛かった。本場ではもっとずっと辛いそうだ。 おらは、おばちゃんと、エクアドルのエンバナダス(揚げ餃子)を手伝った。 皮をノシ棒で、延ばしたが、処女作は延ばしすぎてしまった。ものすごくでかくなった。 おばちゃんもおらに負けずに、でかくしてしまった。 3つ作った。粘土あそびをしているようで楽しかった。 亡き、ばあやんがよく柏餅を作ってくれたもんだ。それを思い出していた。 ビュッフェ方式で会食 中国 ワンタン、涼採 エクアドル アロス コン ポジョ (チキンライス) エンバナス(揚げ餃子) タイ ヤムウンセン 砂肝揚げ トムヤンクン(スープ) フィリピン カルダレータ(カレー) ルンピアプリトー(春巻き) マレーシア マレーシアカレー エビいため フルーツサラダ エクアドルのは、グレープが入っていて旨かった。 やっぱりタイ料理は辛かった。口がヒリヒリした。 フルーツサラダはミルクにフルーツが入っていて旨かった。 砂肝もコリコリして旨かった。 掃除。何年ぶりかで、床の雑巾掛けをした。 座談会 フィリピンの女性 日本15年。高校の子供あり。 中国の女性 日本4年半。東京では3年。 この人達の日本の体験談を聞いたり、質問したり。 まずは、グループの自己紹介。高校生とかもいた。松本や明科とかからも来ていた。 日本は物価が高い。長野は交通が不便。車は必需品。でも自然が多い。 外国人はover stayが多い。病気の時困る。 保険がきかないから。 フィリピンは女性の方がしっかりしている。気が短い。 PTAに出席しても言葉は解るけど自分からしゃべれない。 今は年1回位帰国する。 北信医療ネット 年2回外国人用 無料診断 小布施の病院でやっている。 上田では東信病院でやっている。情報は、教会とかで、配布されているそうだ。 結婚しても国籍を変えない人が多い。帰るとき、めんどくさいから。 女性が日本人、男性が外国人の場合、日本国籍にはできない。 その逆は出来るそうだ。収入の関係上か? フィリピンでは、学校は大きい。数が少ないから生徒が多い。2交代制で勉強である。 6時始まりと、13時始まり。日本は進度が早い。 フィリピンは仕事が少ない。だから ナマケモノと見られる。実際は仕事が少ない。 だから外国へ行く人が多い。大学へ行かないと、企業へ入れない。 日本人は働き過ぎ、でも中国でも働く人は増えている。 (オーストラリアでは、40日も休暇を取らないと、給料がさがるそうだ。) 中国では旧正月、10日とかの休みあり。 外国人が受ける日本語検定試験あり。 今日の中国の女性は2級とか。 中国では、以前は、祖父母が大切にされ、一番良い部屋に居たが 今は、子供が一番良い部屋にいる。 核家族化。少子化対策のため。 小学校へ親が送っていく状態である。 なぜ日本はいじめがあるのか?フィリピンではケンカがある。戦いだ。 子供が自殺することはない。 他の班の発表 C班 タイへ、女性でも親へ仕送りしている。集まって騒ぐのが好きである。 タイはお坊さんは真面目である。 タイでは 貰うとお返し(冠婚葬祭)するのはない。 日本の暗黙の了解が解らなくてつらい思いをした。 タイでは男性も料理をする。女性は掃除をよくする。 B班 エクアドルでは、夫婦一緒にイベントとかに参加することが多い。 フィリピンでは、 〃 少ない。 日本の文化はイミテーションではないか? A班 香港や、フィリピンではチップは当たり前である。 香港も別居が増えてきた。 フィリピンは同居は多い。 フィリピンでは小学校でも進級できない子が多い。 日本人は表情が堅い。 草の根国際交流の活動の紹介あり。 ネパール教育支援プロジェクト PONES とかが あるそうだ。 以下は配布されたチラシを転載。 ネパールの山村の子供達に充分な教育を受けさせるための支援。 里子達はカトマンズで寄宿する。子供達は高校卒業まで学校へ通える。 奨学金 月単位 私立学校授業料 約800円 寄宿舎生活費 約3800円 国内事務経費 400円 里親として、月5000円 奨学生を支援する。 支援期間 1年、5年、10年より選択。(各年更新可能) 里親には年2回奨学生より近況報告あり、(手紙、絵、写真など) 年4回PONESよりニュースレターあり。 スタディーツアー、里親の会もあり。 賛助会員 一口5000円からもあり。 97年2月には51人の里親により、奨学生40人が山岳地帯からカトマンズにやってきて 学校に通い始めたそうだ。 PONES-JAPAN 事務局は 〒380 長野市鶴賀33-9 TEL 026-226-3847 e-mail KHB20273@niftyserve.or.jp 出席感想。 受講生の男性はおらと、マレーシアの講師の女性の旦那のみ。 この夫婦はこういう交流会で出会ったそうだ。 この男性はヒャックリが止まらなくて困っていた…。 中国女性の子供が騒いでうるさかった。 料理の方はなんか、場違いの所へ来てしまったような感じがあった。 英語で交流できるかと思っていたが、当てが外れてしまった。 でも体験談が聞けて良い経験だった。人の話は聞くもんだ。 この中学は県合唱で金賞の賞状があった。生徒が練習していた。 その後は自営の電気屋の友人の所へ寄った。 3Dデザイナーで 「2nd STAGE」 「Nagano Olympic 1998」のを 作った。 NT、 80MのRAMのマシンだった。さすがに速い。 帰りは地蔵峠、この車がまたここを通る事はない。 霧が濃かった。長い道だった。 家に着くと、知り合いの人が家に寄ったらしい。 そしたら、子供が知恵遅れで、障害を持った子だったらしい。 おやげなかったと両親。 おらには 何できるんかな?
97年9月25日 警備業務専門研修受講
すて吉っつあん
こんな研修もしたんだなぁ
早退 警備業務専門研修受講 五輪ボランティア警備の研修へゆきました。長野市役所10F講堂 1:00~4:00 職員達が多いようでした。 250人くらい。超満員。30分遅刻。 (高速を使ったけど、駐車場で手間取った。 さすがに車は調子いい。 てえんで、ぐわいいわ、おぇ。 持つべき物は新車) 仕事の内容が見えてきました。 リンクサイドでのチョロマカ氏、観戦は出来ないようです。 ショック。 入り口でチェックです。 リンクサイドはゾーンコントロール班の仕事。ADチェックとは別。 詳しくは会場毎の研修で更にはっきりするでしょう。 市川さんと、竹内さんの説明。アクレディテーションカードの説明と 警備全般、組織のせつめいでした。 一生懸命聴講しているおばちゃんも居れば、ぐっすりお休みの人もいました。 おらは、リンクサイドでなくてガックシして外の景色を見ていました。 ゾーンコードのを表示の大きさが改善されて大きくなったのか質問しようとも 思ったけど、お役所仕事で、プレ大会の意見など汲み上げられないだろうと、 たかをくくっていたし、どうせリンクサイドじゃないし、 で 質問はしませんでした。 どっかの とっつあんが、アームバンドをきちんと身につけるよう選手らに 徹底して欲しいと要望していました。 ヒストリ: 1972年のミュンヘン五輪のテロ、 1996年のアトランタ五輪の爆弾テロ 長野でこのようなテロが起きないように……。 カーリングで、ADチェック班におじいちゃんがやっていて、朝でも昼でも 選手らにグッドモーニングと挨拶していたそうです。 フェアウェルパーティーで、選手らが一番印象に残った事を聞くと、 このおじいちゃんだったとのエピソードの紹介もありました。 笑顔、挨拶をしっかりしろとのこと、 (おいらの大の苦手) バーコードリーダーの説明もありました。2次元の情報とのこと。 バッテリーの持ちには当たり外れがあるそうです。 2000人位は読めるとか、最短は450人。(プレ大会) 実機で、じっつあんがやってました。 金属探知器の説明もありました。金属の長い物だと、音が長く鳴りました。 我々一般が使用するのは、リレハンメル大会と同じもの、 プレスセンター等では、アトランタ大会と同じ金属探知器だそうです。 何かあったら、初期対応をせよ。そして、班長に報告せよ。 パニックになるな。(おらが、3月のプレ大会はまさしくこれ!!!!) 警備員もTVで世界中に瞬時に映ってしまう。 ダラダラやるな、 を3つのキーワードをして言われました。 (ダラダラやるな、 も大の苦手、) AD(アクレディテーションカード)には写真が必要です。 会場研修の際に撮影かもしれません。 ホワイトリングの時の顔見知りの人がいました。どこの職員だっけか? こんだは、ボブスレー会場で、12月からもう配置になると言っていました。 帰り道: IBC(ビッグハット横)の国際放送センターも看板ができていました。 メインプレスセンターも着々できつつあります。オリンピック一色と言う感じ。 日赤から県民文化会館へ行く道路もあんなに狭かったのに拡張されていました。 長野駅東口の変化には驚きました。がらりと変わりました。 選手村を横目で見てきました。ちゃちい所も有るような気がします。 デジカメあれば、お見せできるのですが、残念です。 もう少しで赤信号無視を見つかるところでした。(全国交通安全週間) 新車で早速、罰金とならずにホッと。1秒のためらいが危機を救いました。 それにしても、五輪のボランティア業務 チョロマカ氏 ショック!!! ま、与えられたのを地道にやるしかない。 おらはもうショートトラックスピードスケートで 良い経験させてもらったから、いいや。 やっぱり 一等最初に経験する事が一番いいな。 笑顔と、 挨拶かぁ、 やだなぁ。 ま、 チョロチョロとやって、 決して 頑張らない事、 これがボランティアの原則 んな、もんでしょう。 テロだけは、おきないといいけど……。。。
97年11月11日 ホワイトリング、 語学研修会
すて吉っつあん
こんな研修もしたんだなぁ
ホワイトリング、 語学研修会、1時半から、4時まで、 ホワイトリング見学、ロールプレイ、 次の研修は、12月 NHK杯、フィギュア選手権、ボランティア参加出来ず。 どうせ、リングサイドじゃないから、 どうでも いいや。 早退。ホワイトリングへ。高速で、1時半前位に着いた。 自己紹介ごっこをやっていた。おらは他の人からペンを借りた。 すべき事、すべきでないこととかのを女性の先生が説明して、 (テキストに沿って) ホワイトリング内の案内をしてもらった。 NHK杯に備えての準備が出来上がっていた。 ジャッジの席や、報道関係の席、リンク周辺もショートトラックとは違っていた。 もうNHK杯は19回になるそうだ。 外の方も見学した。 選手のドレッシングルームとか、かなり本番に近いようだ。 3月英語で一緒だった人は、シャトルバスと言っていた。 2時55分からロールプレイ。 会話形式で、道案内、セキュリティとかやった。 おばちゃんがかなり不得手の人もいるようだった。 4時に終わって、質問関係。 俺は、ADチェックなので、もっとこまめに休める時間を取って欲しいと要望した。 ボランティア関係は小林さんが担当。 体調はだるかった。 何か耳の辺も調子悪い。地蔵を通ってきた。6時前に帰宅。 又12月に、講座があるそうだ。
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