すて吉っつぁん
これはすて吉っつぁんの1997年に体験した
リーマン時代の実話です
2024年、5年ぶりに風邪をひきました
どうやって治したか思いだしていたら
この記録にぶち当たりました
記念にアップしました 1.5万文字ほどです
Part①
2024年10月、5年振りほどで久々に風邪をひいた
治らないのではと? 昔の風邪を思いだしたら
「奈落の一丁目」 を記したことが甦り
今回身バレしないように一部修正してアップ
・青春の 大阪あそびが 夢に出て・・
短編物語 「奈落の一丁目」
この物語は、筆者自らの出来事をつづった話で
完全なるノンフィクションである
1997年の物語・・・
リーマン時代の大阪出張、
10月27日~11月22日まで
脚色は、全くない
20章完結編
第 1章 大阪出張
第 2章 大阪城ライトアップ
第 3章 外回り
第 4章 お好み焼き
第 5章 奈良
第 6章 奈良 2
第 7章 奈良 3 & 京都
第 8章 アポ
第 9章 妖怪 壁たたき
第10章 奈落への序奏(助走)
第11章 チョロマカシ
第12章 千曲川讃歌 〇●ホール
第13章 合唱本番
第14章 奈落の一丁目 0番地
第15章 ホワイトリング
第16章 サッカーw杯予選
第17章 バチ
第18章 闘い
第19章 奈落の一丁目
第20章 おまけ
____________________
「出張の日程、10月21日~11月10日までだったけど、
変更で27日から行ってくれ」
やっぱり、11月9日には帰って来れないか
これじゃ、千曲川讃歌はの合唱は駄目か
10月27日 晴れてはいるが、風がちょっと強い
バスが無いので新人くんに頼んで、
会社から、最寄り駅まで乗せてってもらった
歩こうかとも思ったがなんせ
5分歩く事さえ出来ない・・ 荷物は重かった
午後13:03発の新幹線に乗り込んだ
窓側だったけど、最前列、変な位置だ
速い、〇〇高原は、トンネルで通過している
次の駅にも直ぐだった
山はやや冠雪
群馬、 なんて山がないんだろ
季節感がないなぁ
やっぱ、おらあ、 〇●がええな
揺れが少ない〇●新幹線
東海道新幹線に乗り換えてそれが、更に実感できた
箱根、富士山、 富士山のでかさ、すばらしさ
紅葉はまだ進んでいなかった
昔の人は何日も掛けて、東海道を下り
今の人は数時間で着いてしまう
そして社会は 効率、 利益、 スピード、 ばかり
なんか大切な物を忘れているようだ
善し悪しは別として なんか虚しい
大阪では阪急の方へ出てしまい
ホテルまで50分も掛かってしまった
ホテルに着くと京都見物してきた、
会社の人達が受け付けしていた
一緒に50分もウロウロし、中華の飯へ
なんと水のまずいことか、
この食堂のコップが汚いんだと思いこんだ
しかし、ホテルも同じ味だった シャワーでも水が臭うのだ
次の日、地下食堂でも同じだった
これなら、浄水器やミネラルウォータがよく売れるはずだ
たまたま朝のテレビで、大阪城のライトアップが放映されていた
これに感化され奈良と、京都のガイドブックを買い込んだ後に、
JRで大阪城公園に向かった
遠くから見た方がずっと綺麗だった
それにしても人が殆どいない
たまに、カップルが物陰で、ゴソゴソ怪しい動きと
声を出しているだけだ
それにしてもこんなでかい巨石をどうやって、
積み上げたのだろう 不思議だ
お堀は2重になっていた 権力とは、すごいもんだ
戦で、幾つもの血がここで、流れたことだろう
変な悪霊も ウジャウジャしているはずだ
近くで見る大阪城は今一だった それにしても人が少ない
帰ろうとしていたら、会社のsさんが、来た
おらが、大阪城へ行くと言っていたから、
つられて来てしまったのだろうか?
帰りにホテルニューオータニの展望レストランへ行ってみたが、
手の出る金額でなかったので、諦めた
綺麗な物は遠くからの方がいい
中華で、夕飯を食うとレジスターが故障してしまい、
とっつあんが、困っていた
阪急32番街、展望レストランへ行ってみた 1時を過ぎていた
突然のように飛行機が姿を現して大阪空港へ向かう
生駒の方から見えてくる
ビルビルビル、 ふと真下を見ると、
見覚えのあるホテル名、 ととと、
わがお泊まりのホテルも見えた
こんなに近いなんて、 さすが30階
それにしても水が普段飲んでいるのと同じだった
浄水器でも使っているのかと、聞いてみたら
ミネラルウォーターだと言う
当たりのランチで、コーヒーがサービスで出てきた
夜、2Lのミネラルを買い込んで、ガブガブ飲んだ
初日に買い込んだ梅酒がやっと減ってきた
CAP レジデンスタワーとかへ行った
すごいビルだった どっかのデパートの様だった
エレベータがわからんかった 上に行くのか、下なのか?
最新のエレベータとは、乗っている感じもしないのだ
丸紅にも行った きれいな女性ばかりだった
制服はないのだろうか?
この日は車で3人で行って、4時には戻れた
豊中市の方にも行ったのだ
大楽勝の仕事である 予想は外れた
これだと11月1日から3日の連休はじっくり
奈良、京都へ行けそうだ どこへ行こうか、
梅田シティの展望公園にも行ってみた
20分も掛かってしまった
700円くらい取られただろうか?
外は風が強かった 大阪城も見えた、昨日行った宝塚、
マリンパークの様なところもよく見えた
「 阪急の駅だろが 一体 何時間かかってんだ!!!」
「 地下道がかわらんくて、迷いました 」
「 うまいなぁ 阪急の駅だろが? それにしても 」
まったくのごまかしだった
迷ったことは確かだが、そんなには掛かっていない
見え見えの良いわけだった
んなのは、要領が一番だ
世の中は正直者は一番損だ
適当に、要領よく、当たらず触らず、穏便に、
会社勤めは、演技していればいいのだ
「演ずる」 これは大変重要である
有名な会社の副社長が言っていた言葉である
ちょっと演技に失敗
「歩きすぎて 足がつって、茶店で休んで来ました」
の言い訳が、良かったかな
実際、普段5000歩も歩かないのに、
こっちにきてからは、10000歩、
18000歩、21000歩、とドンドン記録を更新していた
最高記録は36000歩であった
同じ代理店に2往復したり、道に迷って、
40分も歩き回っていたからな もち、皮靴
Part②
日本橋に行こうとしたら、恵比須から行った方が良いと言われた
NECの NXシリーズが並んでいた
デジカメも81万画素とか各社出してきている
JAVASCRIPTの本とかも買い込んだ
ふと見ると通天閣が見えた でももう閉まっていた
ボロボロの所だった 坂田三吉のお話もあった
人に聞くと、
エレベータも重量オーバーブザーがなったけど、
人が偏るとブザーが鳴るそうだ
お好み焼き、 広島風と言うのを頼んだ
水はまずかった 初めて本格的なのを食べた
旨かった 1300円もしたけど価値があった
活気のある店だった
今回の出張中一番の旨さだった
梅田食堂街でもお好み焼きを食べてみたが、
ここのが最高だった
梅田食堂街は、人気の店とガランドウの所がはっきりしている
連休初日 11月1日(土曜日)
まずは鶴橋まで行ってから、近鉄で、大和八木へ
向かう予定だった 途中電車を間違えて30分以上もロスした
そして急遽
長谷寺へ向かった
女人詣でで、女性が多いとガイドブックに載っていたからだ
・極楽は よそにはあらじ 我が心
同じはちすの へだてやある
(徳道上人)
・幾たびも 詣る心は 初瀬寺
山も誓いも 深き谷川
・人はいさ 心も知らず 古里は
花ぞ昔の 香に匂いける
(紀貫之)
以下 筆者の句
・登廊や 見下ろす伽藍 秋の風
・杉木立 いにし昔の 長谷の寺
・花なくも 秋の陽つつむ 長谷の寺
・青モミジ 塔の後にや 苔はむす
・大モミジ 五重の塔に 陽はさして
・絵馬堂に 初瀬の川音 秋の風
399段の登廊はいいもんだった ボタンが見物の寺らしい
本堂は修理が行われていた
大きな材木だった 今では考えられない
あくまで ・・静か
今までも そしてこれからも変わらぬ
時を静かに見つめている寺だ
陽が陰るとすっと寒くなる
草餅を食べながら、飛鳥路へと向かった
レンタサイクルを借りた 学生時代以来だろうか?
この飛鳥路
あの当時はユースを使って、たしか500円でユースの
証明書を預かってもらい自転車を借りた記憶がある
高松塚古墳 本物でなくて残念だった
柿を200円で買った 始めのは渋かった
亀石、 そして橘寺
これは聖徳太子誕生の地と言われている
充分に気を取り入れた 鐘を突いてきた
そして岡寺へ、
表参道から入らず西の方から行ってしまった
塑像としては我が国最大 坂が凄かった
結構関西系の観光客が多い
もう自転車はひどいもんだった
ブレーキを掛けるとギイギイと うるさい
加えて、スポークに何かひっかかって、
こぐと ボコボコ音がする
原因はわからず
構わずに ギイギイ ブレーキをかけ、
ボコボコ ペダルをこいだ
飛鳥寺へ 日本最古の像だ
左右対称でないお顔 充分にまた気を取り込んだ
そして甘樫の丘 ボリボリ柿をほうばり、
更に買い込んだミカンも食べた
昼飯は食べるところが無くて、この柿とミカンで済ませた
ドンドンアパートが進出していて驚いた
駅付近の飛鳥路は少しづつ変わっているようだ
田圃のつづく飛鳥路
太古の 名残はまだまだ 健在
・時刻む 田と、柿、ミカン 飛鳥路(みち)
今井町に行こうと思ったが、
もう5時近くになっていたので、やめた
春日大社へと向かったが、
釣瓶落としで真っ暗になってしまったので、
電車も降りずに再度八木へ引き返して、大阪へ戻った
柿の葉寿司を食べ損ねた
11月2日(日)ほぼ昨日と同じ御出立
また大和八木へと向かった 今日はまず今井町
ここは環壕集落の名残、旧家が見学できる
見知らぬ ばあさまが どこいくと 話しかけてきた
見学料を取るので、一通り集落を回った
称念寺とかはもうボロボロだった
廃れてしまうと、ひどいもんだ
明治天皇が行在所でもあったそうだ
昔の面影が残る集落だったけど、期待通りではなかった
今西家とかは無料だった
見るべき所は殆どない ガックシ
町くるみで、保存しているようだ
じっつあんが、公園でひなたぼっこしていた
おらもはやく退職したい
法隆寺はパスするつもりが、
急にガイドブックを見ていて行くことにした
救世観音がこの秋特別公開だからだ
夢殿
王子からバスで行くことにした
懐かしの松並木 世界最古の木造建築
世界遺産は 秋の陽に 包まれていた
1000円の拝観料
金堂は すごかった 壁画がじっくりみれたのだ
世界最古、 最高
懐中電灯で 見張りをごまかして 照らしている人が
いて助かった
(我が県には、国宝はいくつあるのだろう???)
大講堂、特別公開の上御堂 も見れた
大宝蔵殿 玉虫厨子、夢違観音、
百済観音は レプリカだった
欧州へ行っているそうだ 朝のテレビでもやっていた
でもどこが 本物と違うのだろう
本物ですよと言われれば、そう思いこんでしまいそうだ
夢殿、 救世観音は やっぱり懐中電灯で、
照らしてくれる人がいて、ラッキー
聖徳太子の等身像と言われ、明治まで、秘仏で、
白布に包まれてきたそうだ
充分に気を取り入れた
中宮寺はパスした
バスの中で、ボリボリ 柿を食った
・柿食えば、 鐘が鳴るなり 法隆寺
・飯食えず、 腹が鳴るなり 法隆寺
また昼飯は抜きだった 直ぐに薬師寺へ向かった
北海道の修学旅行生に お坊さんが
説教をたれていた 20代の坊さん
落語の説教である
三重の塔は34m、法隆寺は32mだそうだ (法隆寺は五重)
九輪は、6トンもあるそうだ
どうやって、昔の人はそんなのを作ったのか
観よ と説教していた
高校時代やっぱりここで、
おもろい坊さんの説教をもらったけど、
何も覚えていない 単なる落語だったんだ
今よく本を出している有名な坊さんだったような…
観よ、 これは、おらが九州のユースホステルで、
ペアレントが話してくれた言葉だ
確認旅行をするな ガイドブックの写真の確認をするな
である
観光なんだから、 観るのだ
こころ で、 これを想い出していた
坊さんは言っていた、同じ教科書、同じ授業を受けて、
なぜ、100点と0点がでるのか?
こころ の居場所だと言っていた
同じ修学旅行、 何かを自分で掴んで欲しい、
仏さんのまえでは、 手を合わせて欲しいと言っていた
自分を見つめる時間が減っている現代
テレビに振り回される現代
写経をして自分を見つめて欲しいと言っていた
薬師三尊
それにしても写真の方が、発見できて良い
実物は暗くてわからん
仏足石
女学生らは一生懸命手を合わせていた
むろん、おらは、拝むことはしない、
気を取り込んでいた
吉祥天画像、これも写真の方が 発見できる
良い条件下で撮っているからだ
実物には勿論そのよさはあるが、
写真の方が遥かに鮮やか、 確認できる
時間がない、 急いで高校時代以来の唐招提寺へ向かった
最古、最大の千手観音はよかった 充分に気を取った
もう夕闇が迫っていた 東大寺へは行けなかった
平城京跡へ、 2m位高くなっている
南大門が建設中だった
いばって、こんな所で、昔の人は生活していたんだな
さっきの唐招提寺の講堂を想い出した
(唐招提寺のはこの平城京跡のを持っていった)
もう暗かった
充分に気を取り入れ 生駒を眺めた
昼間の むさ苦しい 草の匂いがする
学生時代、おらの前世はここだったと 信じていた
懐かしさがあったためだろうか???
おらも年をとった
西大寺へ向かった 伽藍はでかかった
少し早く出た
近鉄奈良へ 久々の東大寺だった
正倉院の展示もやっていて人だかりだった
昔、ユースで、建築家の人が、(ろうあ者)
東大寺のような木造建築は現在の技術では
出来ないと言っていたのを想い出した
八角灯籠は修理中で見られなかった
現在みているのも、かなり修理、修正されたものだと痛感した
それにしてもこの大仏殿はでかい
スケールがすごい、大仏もそうだけど、
さまざまな庶民が参拝した事だろう
疫病や、悩み 大仏様はそれぞれを
見届けて現在に至っている
二月堂へ、景色は今一だった
きんなの平城京跡も今一
若草山へ登るのはやめた
三月堂も 400円位したので、パスした
興福寺へ、久々の阿修羅
千手観音 仏頭、仏像たち、 気を取り入れたが、
なんか、気が調子悪かった
変な感じがした 鬼らの邪気が入ってしまったか??
柿の葉寿司を買い込んで、京都へ向かった
知恩院を目指した
もう京都は、庭園の景色が中心だ
ゆく年来る年で出てくる大鐘があった
竜馬らの銅像の前で柿の葉寿司を食う
そして清水寺へ・・・
途中、坂本龍馬先生のお墓とあるので行ってみた
登りがきつい
多くの同志と共に眠っていた
京都が一望できるいい場所である
気を取り入れると 右の耳がキーンとなった
なんか、不思議 心配
急いで清水へ
変な道を下っていくと、舞妓さんら3人が来た
観光客がずっといる 迷わず、シャッターを押した
塗り壁が凄かった やっぱり遠くから観ていた方が良い
清水では、本堂に上がり込み、ゴーン、と
なんというのやら ならしてきた
縁結びの神社へも行って、急いで、竜安寺を目指した
バスがない 仕方なく、
地下鉄まで歩いて、二条城へ
地下鉄は、弁当箱に入った感じがした
線路への安全対策だろうか?
大政奉還を決めた、歴史の間
団体の観光客が多かった
なんと ここでまた、 会社のsさんに会ったのだ
びっくり
バスで、竜安寺へ 立命館大の所で降りて歩いていった
つまらんかった竜安寺
気を取り入れる気さえ起きない 興ざめ
夕方のせいか?
学生時代は、 無、 無、 無、
と 対面していたような 印象があるが、感慨が
ちっとも湧かなかった ここも世界遺産だそうだ
石庭の作者は不明
お池も ちっとも風情が無かった
期待していただけにショック
もう5時を回って暗くなっていた
一応仁和寺まで行ってみたが、山門は閉まっていた
不安げながらバスに乗って、金閣寺へ
1000円 ライトアップ もう人が凄かった
初詣みたいだった
更に人が押し寄せていた
押し合い、へし合い何枚も写真を撮った
水面に映る金閣寺の方がいい
近いとやっぱり つまらん
バシバシと写真を撮っている人が何人もいた
帰りのバスが15分も来なかった
西院まで行って、阪急で梅田へ
急行はさすがに速い
それにしても京都のバスはちっともわからん
ガイドブックも役に立たなかった
梅田食堂街で、昨日と同じ所のサービス定食
Part③
くじに負けてしまった
一日中アポ取りの仕事になってしまった
くそう
午前中は、ちっともはかどらなかった
午後から猛然と やった
104番でまずは電話番号を調べないといけない
これがめんどくさかった
交換嬢も おらがしつこいので、
嫌々の対応の口調が何人もいた
こっちはお構いなしに 粘って、しつこく、食らいついた
何とか、何件かは取れた
休みもせずに、 ガンガン調べて、
残り3件にした
おれも やるときは、やるもんだ
それは、今週で終わりそうな気配が、
やっている内に感触を得たのだ
だから、飛ばしたのだ
4時間と言う物ずっと電話していたのだろうか????
他の人は、外回り、
予定通りに来週移動を考えている
そんな事はさせない
もっと ゆっくりやれ とも 言われたが、 無視した
腹いせに やけになって仕事をしてやった
なんとしても 今週中には帰り、千曲川讃歌を 歌うんだ !!!
もう充分観光もしたし、 おらは 満喫した
初めて5人組で 夕食
・腹いせの アポ取り仕事 気分壮快
夜12時頃、 なんか ドンドンと
壁を叩いている音がした
なんか変だな
そして、 歌を歌っているあんちゃんの声も聞こえてくる
変なホテルだ
朝は決まって、5時半には眼が覚める
ドンドン ガサガサ
外で、道路工事が始まるのだ
そして うるさい、工事のアンちゃんが騒ぐ声
わざとでかい声を出している 良い迷惑だ
この周辺は、 ピンサロ、 呼び込みが多い
高校生としか思えない連れも平気で、道で誘っている
おばちゃんも 必ず、腕を引っ張り込んで誘ってくる
ホテルも多い
はい カップル様 ご入場 ほどほどにね
そして、ある夜の 2時半だった
ガンガンガン、 ウォオオォウ、 ガンガン
ボコボコ、
ゥオオオオゥウウオオゥォ で 眼が覚めた
妖怪が 暴れ始めた
他の人が言っていた、
夜中に騒ぐやつがいると 言うのが この
妖怪: 壁たたき だったのだ
6階らしい おらは、5階だったが、 4階
で騒いでいるのかと思った
ドアのノブをガシャガシャ、やったり、
窓を叩いたり、壁にパンチを入れているようだった
10分くらいすると また始まる
朝まで殆ど寝れなかった
フロントに言おうとしたら、
もう毎晩泣かされている人が苦情を言ったそうだから
おらは、やめておいた
毎晩らしい 迷惑を被っている人の話だと、一度
エレベータで会ったそうだ
神経質そうで、 ガタガタ体を震わせ、
欲求不満そのものだったらしい
会社へ行くと、その話題で 持ちきりだった
まだ他にも うるさいのがいるらしい
その夜、また妖怪は現れた
11時過ぎ、 12時には 失せたようだ
たまりかねた 人が、
「また、はじまっちゃた」と、 フロントへ 言ったそうだ
妖怪は、 次の日は、 ホテルから閉め出されたようだ
これも一つの 話の種
くじは 助かった
外へ一回出られた しかも きちんと昨日アポ取って
印象が良い代理店 楽勝だった
三宮の異人館通りで、昼にスイス料理とかでランチを食べた
2400円のサーロイン 肉が堅かった
腹一杯 昼に満腹は良いもんではない
胸焼けがした ここはまずい水にレモンを入れていた
さあ、今週で帰れそうだ うれすい
ざまあみろの アポとり夜は古本屋をあさった
世界大恐慌の 本が あって 早速買い込んだ
他にも買い込んで 持ちきれなくなってしまった
実質の最終日、 整理してウダウダと 駅すぱーと
で色々調べ(遊ぶところ)難波へ 向かった
パソコン街を見学
そして 吉本新喜劇へ入ってみた
1時間位しか時間がなかったけど、2000円で入ってみた
超満員
コメディNO1がやっていた
次は月亭八方、
かなり疲れていて眠り込んでしまった
新喜劇は、 寿司屋の 出し物だった
おもろい、ゲエ人がいたもんだ
でも 途中お客はドンドン帰っていった
終わって直ぐに南海に乗って、関西空港へと向かった
900円近い まいった
なんとしても展望をしたかった
おみやげを買い込んで、 バスに乗って
展望出来るところへ向かった
殆ど人がいない
緑と、青と、 赤の ランプ
着陸態勢の飛行機が、3機、4機と見えた
離陸
轟音と 共に、5分おきくらいに飛び立つ
ライトも 飛び立つと直ぐにoffにしていた
寒い中、 「じっつあんが、 とびよるで、 とびよるで」
と はやし立てていた
50分くらい、外にいたろうか?
これが、 奈落への 序奏(助走)だった
外は寒かった 冷え冷えしていた
あったかい、うどんと、チラシ寿司を食って、
ラピッドとか言う特急で、難波へ
車内は、オレンジ色で、 窓が円い
無駄な金を浪費すると、気分がいい
帰りは11時近く、
宅急便用のガムテープをもらい、妖怪の話で 盛り上がり
酒をもらい 眠りについた
梱包をした 40分は掛かってしまった
段ボールを持ち上げられない、
それ程重かった これがいけなかった
フロントで精算を済ませ、出ようとしたら他の客が来た
………… (以下中略、 ( 内緒) )
帰りは京都へ寄った
阪急で、西院、 ちんちん電車で、 嵯峨野へと向かった
渡月橋、 なんか工事をしていた
対岸のお寺へ ちょっと立ち寄り、土産を買って、
天竜寺、この庭園も世界遺産
モミジが良かった ここは赤が鮮やか
3段の滝 湧き水
青空に 浮く モミジを 写真に収める、じっつあんら
さざれ音を聞きながら、常寂光寺へ
中学生らの遠足 グループで、回っているらしい
塔が 古びていた やはり修復は大切な物だ
京都北の山並みが見えた
鐘の音がきこゆる (二尊院の)
静かな所だ
落柿舎 あなたも 投句を どうぞ とあるので、5秒で作った
・柿の葉の 落つる 秋の陽 萱の上
(落つる が 柿の葉と 秋の陽 と、落柿舎の掛詞
我が製作史上最高傑作)
二尊院へ 2つの 仏様をまつる本堂
こんなのがあるとは、しらなんだ
・二尊院 竹のさざれ音 鐘の音
(音を、二尊になぞらえて、2つとして詠んでいる )
二尊院でのひなたぼっこは、気持ちよかった
終わった出張、そしてこの旅行
不安だったけど、取り越し苦労だった仕事
最後は祇王寺に寄った 苔がなかなかよかった 小さい庵である
そして京都駅に向かった お遊びは終了した
その時だった
後ろのポケットに手をやると、
チャリイン と 音がした
うぅむぅ と 思ったら、
ホテルの鍵だった
しまった !!!!
このチョロマカシがばれてしまう
もうあとの祭りか???????
ホテルに電話しようにも 全て宅急便に入れてしまった
シマッタ!!
京都駅は凄かった 噂以上だった
ガランドウ 鉄骨 大空間
景観とかなんとか張り合っていたけど、話の種には いいもんだ
新幹線で名古屋へ、そして中央線でお街へ向かった それにしても
〇●は山ばかりで、 全く田舎だ もっと国宝が欲しい
紅葉は汚かった 〇●●も寒かった
〇●鉄道、 学生らで満員
家に着いて、ホテルへTEL 次の日早速 ブツ を送った
Part④
11月7日 夜7時に 〇×ホールへ、
Iさんもいなかった 最高責任者も
いんかったので、おばちゃんに言って、歌わせて貰うことにした
テナーは10人 バスは6人である トータルでは、80人
指揮は〇×先生
さすがに 音量は足りない 強弱も今一だ
今までと一番違うところは ひふみ である
跳ねるような感じがある この方がおらは好きだ
有情では、 きちんと 休符をやっている
しあわせが、 (休) Chikumaを のぞき込む
の所だ
ここが気に入った ピアニストは2人で交替するようだ
女声ソロは、怖がっている声の出し方だ ちょっと心配
バスの所、テナーも一緒に歌っている それでいいのだ
それにしても、指揮者が直ぐ振るのをやめると、歌は引きずられない
結構みんな指揮者をきちんと観ているのだ
これには驚いた 〇×や××では
人数のせいもあるが、 殆ど 引きずり歌が多かったのに
さすがおばちゃんパワー
9時半までの練習
11月8日(土) バイオリン練習はさぼった
なんか調子が今一、 疲れがたまっていた
そして、例のチョロマカシが
ばれているのではとの心配
もぐりの さぐりをやり、 ばれていないことが
確認できたので、助かった
会社から電話してきた人はどこの人だろう??
まだ、不安半分
夜千曲川讃歌最終練習 責任者に挨拶した
i さんもおらが来ていたので、
びっくりしていた
暗譜、 隣の人が 驚いていた
〇×先生が言った
中途半端な 暗譜はやめろ
途中で譜面を見るのは恥ずかしい
はずすなら、 はずせ
これで、おらの気持ちも決まった
譜面すら持たずに、ステージに立つことにした
服装は シングルの礼服に臙脂の蝶ネクタイ
おらはそんなのは無いので、人から借りた
通しの練習 やっぱり、ソロが心配
飛び出しとかの心配はなさそうだ
川の怒りは、 ピアノが超むつかしいので、
ま、これくらいの速さかな??
いいでしょう
自分でもリズムを取るためか? みんなにリズムを取るためか
〇×先生は、必ず、 口を動かして、
リズムを取ってくれてから、 指揮に入る
女声のソプラノで、頑張ってしまっている人が居て、
しかも音程が下がっている
なんとか自重してもらいたいが…
アルトも下がるところがある
全員合唱の 大地讃頌 と 夢の世界へも 練習した
大地讃頌も 大夫忘れていてソプラノのパートを歌ってしまっていた
帰り、 なんか左の喉が変だ
気のせいかな?
9時半に△△ホール集合
発声練習 そして通し練習 ソロが …
ソプラノと アルトの下がりも
そんなには気にならなくなっていた
10時半で終了 その後は小中学生の練習
入場料は無料である 千曲川讃歌の 詩 の朗読もない
小中学生が、 川 にちなんだ歌や、 合唱劇をやる
劇のは大変そうだった オコリンボウの きつい女先生だった
飛び抜けた合唱団は無かった
11時に2階の会議室で、おにぎりと、味噌汁
12時半から 合同練習
大地讃頌、 夢の世界へ
〇×先生が、 中学生らに 注文を付けていた
カッコヨクしろ
ここではここでの カッコヨサ がある
よく考えて 表現せよ
夢の世界へは、 小学生の歌い方にしてくれ と 先生
澄んだ小学生の声が場内をつつんだ
大人は 力が入りすぎていたようだ
みんな、 このような、 大人の合唱団や
そして みんなで、歌う事は、まずないんだよ
噛み締めて、 楽しく歌おう と 〇●先生
1時半から受付に並んでみた
某会場での 委員長、 実行委員の人が来た
歌う生徒達や、合唱団はいるものの場内は
立ち見が沢山の超満員だった
座席数は800
おらは疲れていたので、後ろの方でずっと見ていた
小学生らの子のクラス一人、車椅子の子がいた
冬に パラリンピックを見に行くために 野菜を作って売ったそうだ
まだ、入場料には届かないので、更に大根を植えて
資金調達の予定らしい
指揮の先生が、しっかりとクラスをまとめていそうだった
きっと、いいパラリンピックを 見れる事だろう
身障者の 作曲家、 t さんが 作った
どろんこパワーの歌を披露してくれた
中学生ら、 リハーサルでは、
ヘナヘナの生徒も カッコヨクなっていた
声は今一だったけど 沢山のお客の前で歌う経験
生徒らも 緊張の中に
何かを つかみ取ってくれれば いいんだが…
劇の方もまあまあ旨く行っていた
星振りを 一人だけ 逆に振っていた子がいたけど
音程とかは問題ではない
長い祝辞が始まった 作詞家のお話、 事務局の話
〇●先生は再三言われた
色々 祝辞とかあるけど、 主役は 私達ですよ
主役は 私達
緊張した先生が印象的だった
さあ、始まった
議員さんの顔も見える
小学生らは熟睡の子もいる
譜面を持たない優越感と、不安
一滴の 水は、 …………
ホタルの 男声合唱も 大変良い出来だった
ソロの ひふみ 一番の出来だったのでは、
もう一ヶ所のソロも リハよりずっと良かった
ソプラノ、 アルトの 音程も なから いい線だった
頑張るおばさんの はずれた声も 無かった
〇●先生の落ち着いた指揮
途中、 OKサインも出た
きっと先生も手応えが有ったんだと思う
川の怒りも まずまず
残念は、ピアノ伴奏者が 変わるとき、
場内が、 ガサガサ パンフをめくる音が凄かった
真剣に聞いてくれていたのだろうか ???????
雪肌も 無難にこなした
うれしい、
有情も文句無かった
80人でこれだけの演奏が出来るとは思わなんだ
是非 **や△△の人にも聞いて欲しかった
あの アユが跳ねる
最後の ピアノが 終わった
中学生らはステージに上がり、
小学生らは 後ろ向きをして、〇●先生が
客席中央の通路で、指揮
夢の世界へ
そして
大地讃頌
おらは、小学生や、中学生を見ながら歌っていた
大地讃頌の最後、
ちょっと喉がおかしかったけど、
最高の声を出して歌った
アンコールは もちろん、
無し
**や △△にはない感動が あった
こんな音程でいいのかと正直の所
思われた、女声も なんとか旨く行っていた
番に強い人達の様だ
舞台袖、 〇●先生が 一人一人に お礼を言っていた
おらに 「 遠いところ、 ありがとう 」 と言ってくれた
驚いた おらが 参加したのを何で、知っているんだろう
きっと 委員長とかの辺から 情報が行ったのか?
まさか、 指揮者が さすらいの はずれ者を
知っているとは 思わなんだ
そして 嬉しかった
この合唱団のまとまりの良さを 実感した
2階で打ち上げがあった
事務局の〇〇さんがおらが思ったのと 同じ事を言っていた
**や△△にない ひふみ渕
そして 譜面を殆どの人が見ていない
作詞の柳沢京子さんが言われた
しっかりと ホタルの アイスキャンディ 売りの…
の部分を聞き取れた
**と△△の初演の感激とは 違う感動があった と
きれいなおばさんが隣にいた 息子さんが モルダウを歌ったそうだ
そして横浜の先生にヴァイオリンの指導を受けているらしい
このおばさん、若いときはもの凄い美女だったと思う
以前合唱をやっていて、
体を悪くし、中断、 そして今回 土曜日練習と言うこともあって、
再度トライ
やればできるんですね、を連発していた
やさしい声だった
看護婦と言うおばちゃんは、うるさかった
i さんに キスしたり、
卑猥、ワイワイ 酒はガブガブ 大騒ぎだった
〇●先生は、埼玉だかの方からわざわざここまで、
指導しに来ているそうだ
脱帽だった
好きだから やってるんですよ
が印象に残った
i さんに 2次会を誘われたが、 断った
大きな魔物が 押し寄せいていた
悪寒が走った
左喉が………
AIからの情報です
「千曲川讃歌」は、作曲家の三枝成彰さんが作曲し
柳沢京子さんが作詞した混声合唱組曲
この作品は、1998年の長野オリンピックと
その後のパラリンピックの文化プログラムの
一環として制作された
この組曲は全7曲から成り立っており
千曲川の美しい風景や自然の力強さを表現している
具体的な曲目には
・「水の精『Chikuma』の誕生」
・「ようこそホタル」
・「ひふみ渕」
・「川の怒り」
・「雪肌無言」
・「千曲川有情」
・「千曲川メモリー」など
Part⑤
それはいきなりきた
一気に待ってましたとばかりだった
体がだるい
足の節々が重い
痛い
出張の疲れと、
千曲川讃歌の緊張が一気に取れ
そして長い戦いが始まった
10時過ぎに寝たものの、
足が 重くて 一晩中寝れなかった
喉も 左が 痛い
なにか大きな物が 覆い被さっている感じがった
あの興福寺の 邪気が 悪さを働き始めたか???
足の置き場所が無かった
何度寝返りを打ったろうか
白々と夜は明けた
こんな事は、初めての経験だった
幾ら 風邪でも 寝れなかったことは無い
やっぱり 邪気か??
それでも会社へは行くつもりだった
チョロマカシが どの程度 知られているか?
不安もあった
しかし熱を計ると、38度近い
これで諦めた
喉が痛い しんどい
歌なんぞ、 歌って、 欲かいて、 恥かく か??
直ぐに耳鼻科へと行った
これはひどい、 点滴に なるかな?
と言われた 熱は、38.8度
___________
その昔 東京時代 イベント100 を目指していたおらは
ラグビーの早明戦、国立競技場で、
大騒ぎしたことがある
明治ファンだった
歴史に残る名勝負で、 攻められっぱなしの明治を
声をかれんばかりに応援した
おら、つぶせ、 つぶせ、 おらおら、
いけ いけ !!!!
耐えろ 耐えろ、 守れ、 守れ
よーし、 よし よし !!!!
結果は1点差で明治が優勝
残り15分、 早稲田の攻めは凄かった
ノッコンに助けられた
そして声をやられ、10日も寝込んだ
38度の熱がづっと続いたのだ
声が出ないのだ 喉を見ると、 白いのがある
完全に炎症だったのだ
この時も寝れない事はなかった
___________
今回もこれに似た感じだった いやな予感がした興福寺
でもそんなに無理はしていない
歌で無理をしたとすれば、最後の大地讃頌だけだ
これがそんなに 喉をやってしまったのか???
吸入をして貰い、薬をもらい、 安静にしていた
一日で大夫回復して
左喉の痛みも退けてきた
眠れなかった9日が気にはなったが、ま良くなったから
いいや、と 思いこんでいた
会社では、課内にメールが回っていた
すて吉に連絡取れる人は直ぐに取って・・・
何かホテルに用事が有るらしい・・との 電子メールだった
チョロマカシは ・・ ばれていない ラッキー
11月11日(火) 午後は 風邪がまだ直らないと
チョロマカシ、 早退した
高速を使い、ホワイトリングへ向かった
語学研修だった 遅れていった
全員では25人位いたのだろうか? 土曜日にもあったようだから
語学ボランティアは 50人位総勢でなるのだろうか???
もう自己紹介とか終わっていた
そして、ホワイトリングの会場案内
おらは、 3月のボランティアでほぼ知っているので、
適当にプラプラしていた
その時のおばちゃんもいた シャトルバス関係だそうだ
選手のドレッシングルームとかも出来ていた
11月28日からのNHK杯の準備も万端の様だ
3月とはかなり様子が違うようだ
おらは手伝おうと思ったけど、もう締め切ってアウトだった
どうせ、本番の体制でやると言っていたから、
競技が見れないからどうでもいいや
研修はロールプレイとかやった
おらよりも ちっとも語力がないおばちゃんがいる
そういう人が居た方がいい
わからんかったら、 他の人を呼んでくる様な会話もした
セキュリティの会話も
質問 ボランティア担当の人も解った
休憩をもっとこまめにを要望した
こんだは、おら達の休憩所は別棟になるらしい
4時で終わった 帰りは〇〇峠
水曜日、木曜日、次第に喉は回復していた
また、バイオリン教室はさぼった 11月15日(土)
なんかまだ、喉が今一、そして体調がだるい
16日(日曜日)喉はかなりよくなった
そして夜は イラン対日本
賭けをしていた おらは勿論イラン
先攻の日本、そして、 頂きの 同点イラン
想い出の ヘディングシュート 2-1
これでもう イランは勝ったと思った
これからが、今回の監督は違った
ご存じFWを2人変えたのだ
4年前、現監督は 衛星放送の イラン対日本の
解説をしていた
ロスタイムに同点、終了後コメントを求められたとき
声さえ出せない実直な人だった
もう一人の人が、 これが サッカーです
と言っていたのに現監督は、 ショゲテ いた姿が印象的だった
あの人が監督しているとは、新聞で初めて知った
イランは疲れていた 同点、そして サヨナラ負け
おしい最後の速攻を逃した後のサヨナラだった
途中で、監督交代は世界では常識らしい
しかし おらは、そんな国はw杯に出る
資格がないと思っている それで、イランを応援していたのだ
(イランも監督交代だが)
これで、国民も嬉しい人が多いだろう
停滞のリーグにも 人気が復活するかも
なんとか2002年の開催に面目が立った
景気も少しは持つだろう
それにしても若いサポーターが沢山なのはいいことだ
女神は、ウズベキスタンだったか? ロスタイムの同点ゴールだ
あれで流れが変わった
キーパーと DFがもつれて入った同点ゴール
あれは、 神のほほえみとしか言えない
シンデレラの監督
コメントが 気に入った
「孤独な 1ヶ月半だった」
さもあらん
うまく行けばベスト16は行けるかも知れない
個人技はまだ到底世界には及ばない
日本らしい、 システムで、やれば…
しかし サッカーは むかつく、
点が入らない 欲求不満
J-リーグ人気が減るのも納得できる
スターがいない 間 も 無い
そこへ行くと、 野球はいい
ドラマがあり、 気がある
日本人には
サッカーは向いていないかも知れない
プレーする人が楽しいだけだ
この監督なら応援しれくれてやってもいい かも
サッカーは見るなら、 個人技だ
がんばれ アルゼンチン、ブラジル
※ 下段に ⚽ サッカー記事リンク
1997年11月15日の日本対イラン戦
(ジョホールバルの歓喜)
で活躍した日本の有名選手を5人挙げると
中田英寿 - この試合での活躍が特に有名
三浦知良(カズ) - 日本サッカー界のレジェンド
名波浩 - 中盤でのプレーメーカー
井原正巳 - ディフェンスの要
川口能活 - ゴールキーパーとして重要な役割を果たした
この試合は、日本が3-2で勝利し初のワールドカップ出場を
決めた歴史的な試合だった
監督は勿論: 岡田武史
月曜日、11月17日 喉が痛い また左が
きんなの遅い風呂がいけなかったのか?
イランを応援していたバチが当たったのか?
もう左耳も痛くなっていた
仕事どころではない
また有給 もう有給は今年
20日を越えた
年間129日の休日があるから、
150日は完全に休んでいる
ここ数年はこのペースだ
出来れば、25日は有給は取りたいが…
再度 同じ耳鼻科へ こりゃ、痛いだろう
何か変な棒みたいなので、コリコリやられた
ちっとも良くならない 薬も効かないようだ
でもどうして、ぶり返してしまったのだろうか?
やっぱり 興福寺の霊か?
バチか? 不摂生か? 風呂か?
歌か? ばい菌マンか? まいった
完全にやられた
一日寝ていた 少しよくなっただけ、
火曜日は出社してみた
相変わらず 熱はそんなにない
喉が痛んだだけだ と思うことにした
11月19日水曜日も 一進一退
しかしかなり悪化していたようだ
水曜日の昼から 飯が食えなくなった
夜もおかゆさえ食べられなかった
居たたまれずに 木曜日は他の耳鼻科へ行ってみた
左を向くのさえつらい 耳も痛い
ツバを飲むのさえ苦痛となった
なにが原因だろう
殆ど仕事はしなかった
新しい耳鼻科では膿を取るというので、勘弁して貰った
昼はパン がまんして、一つを牛乳で流し込んだ
20分も掛かった
この薬がまたひどかった
少し眠くなると言われたが、もの凄い眠さだった
運転でよく事故らなかったもんだ
※ 以下が当時の ⚽ サッカー記事です
1997年11月16日 ジョホールバルの歓喜 小倉純二氏が明かした裏話 | 東スポWEB【東スポ60周年記念企画 フラッシュバック(32)】1997年11月16日、フランスW杯アジア第3代表決定戦は岡田武史監督率いる日本代表がイラン代表に3―2で競り勝ち、初のW杯切符を獲得した。開...
その夕方は、前の医者の座薬をやった
2時間もすると 喉の痛みが無くなった
しかし 鏡をみて驚いた
ものすごい腫れであった
2/3以上も喉が塞がれていた これじゃ痛いわけだ
口を開くのさえ苦痛、
首を曲げたり上げるのさえ 痛い
勿論声は出せないのだ
そんなに熱は無かった でも首は凄かったようだ
座薬で痛みも和らいだので、これ幸いと 飯をかっこんだ
金曜日、11月21日 やっぱり休んだ
作業表しか頭にない上司を尻目に…
こう言うとき、人の器量、力量、価値が測れるもんだ
午前中はその内に直るだろうと ゴロゴロしていた
そして、4時過ぎ、 気を取り込んだ
やっぱり 医者へ行こうと電話した
都合でこの日は4時半までと言う 慌てて行った
これが天の助けだった 残り2分
(ウズベキスタンの 同点ゴールを想い出した )
ひどい、 場合によっては 切開かも と 言われた
もう覚悟した
もっと速く来なさい、
明日 速くに と言われた
やっぱり 歌がいけなかったのか?? 後悔も少し
薬が変わっていた
17日にどんな薬が効くのか調べたのだそうだ
それがあの棒のコリコリだったのか?
この薬に賭けた
どっかの監督のように 孤独だった
もう歌えないんじゃないか?
切開って、恐いなぁ 入院か?
不安が 喉の痛みを和らげた
やっぱり原因を幾度と無く探った
歌ったのがいけなかったんか?
疲れに重なったのか? どうして こんなに……
・
・
そして ガンとかで闘っている人って やっぱり
こんな風に孤独なんだろうと思った
悪さもしないのに突然の病気、
死への恐怖 復帰のあこがれ
浪の様に一進一退を繰り返す日々 時
健康がどれだけ良いことだろう
闘っている人が幾人もいるだろう
みな 孤独だ
奈落の一丁目がそこにあった
ホームページがなんだ 訪問者がなんだ
この一週間、HPなど どうでもよかった (本音)
眠りに落ちた 薬は効き始めていた
そして 効いた
翌朝11月22日土曜日 まだ痛いけど かなり良い
喉の腫れもあるけど、 首は少しは曲げられる
8時半に行ったらもう40番と遅かった
そこは、計らいがあった 早くやってもらった
点滴はやらんことになったが、
膿を出すことになった 恐かった
でも麻酔で、痛くなかった
膿は少しだけのようだった 吸入やってもらって、
また25日来ることになった 助かった
まだまだ、腫れがある 気を緩めずに うがいしていきたい
サッカー監督が言っていた、
世の中は 何が起こるかわからん
まさか、こんなに急に喉が悪化するとは思わなかった
一寸先は 闇だ
出張で、1kg体重が減った
そしてこの一週間で、3kgやせた
相次ぐ倒産事件 11月3日
某証券 11月17日
某拓銀 21日大手証券
古本屋で買った、世界大恐慌の本を読み始めた17日、病にやられた
その本によると、
2010年までに、資本主義は爆発的に 崩壊するそうだ
これはベストセラーの本である
社会主義の崩壊を ただ一人予想した人が 書いている
崩壊するかもしれない しないかも知れない
世界大恐慌の後は 色々兵士の時代とか、
新しい社会になるらしい
お札一遍のこの社会、
良い社会が来るなら、奈落を見た方が良いかも知れない
この国の行革 国民世論は どうなんだろう?
国民一人一人には 関係ない
現状不都合がないから、 どうでも良いわけだ
だから盛り上がらない
当然の be 動詞である
先送り、先送り、 延ばし 延ばしで、 日が暮れる
志士ら坂本竜馬の時代を思うと情けない
笑える内に笑って於け、 いずれ泣くときが来る
おらの好きな言葉だ
世界 奈落の一丁目が 始まった ! かも知れない
でもまだアメリカは大丈夫だから、 そうは直ぐには来ないだろう
長かった、 おらの 「奈落の一丁目」
これからの経済はどうかるか?
おらを苦しめた、悪霊は、 木枯らしの中へ消え去った
次の標的は
世界恐慌を巻き起こすかもしれない
しかし 必ず 回復するものだ
おらの この喉の様に、そこに 新しい世界を 希望する
お札は無くても、 健康が 一番
御身大切、
みな 孤独
出張中の万歩計 記録
97年10月28日(火) 約10,000 歩 内勤
97年10月29日(水) 18,500 歩 お車
97年10月30日(木) 27,000 歩
97年10月31日(金) 28,091 歩
97年11月01日(土) 23,978 歩 奈良
97年11月02日(日) 29,279 歩 奈良2
97年11月03日(月) 36,880 歩 奈良3&京都
97年11月04日(火) 8,827 歩 やけ仕事 アポ
97年11月05日(水) 17,985 歩
97年11月06日(木) 36,115 歩 関空他
97年11月07日(金) 18,599 歩 京都2
よく歩きました
革靴、そこ(底)に 興福寺の石がつっかかっていた
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